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意識の発生について

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿.1 | 投稿日時 2014/4/5 2:35 | 最終変更
like-mj  一人前   投稿数: 768
細胞は、任意の生物のカラダを作り上げる
最少の基本要素として必要なすべての分子など
を生み出すと同時に、ソレ自体がカラダを
作り上げる構造部材としても働くだけでなく
すべての細胞は、それぞれに別々の
目的をもちながらも、互いに深く関係し
全体としてカラダに必要な外部の存在を
分子レベルですぐに取り込めなければ
分解する仕組みを自らがもつ事で取り込んでいます
そうした取り込みは、生の衝動として
生きるカラダの意識が渇望する形で積極的に
すべての細胞を動員して求められます

私たちの渇望していると感じているモノは
すべての細胞が必要としている素材であり
energyでもある訳です
壊れたカラダの部品は、交換が可能なモノは
そうしたり致しますので
取り外したら自分自身という存在の意味が
失われてしまう脳という組織以外の部分は
自分ではあっても、交換可能なモノであると
知る訳ですが...

人の活動原理の根源は
そうした生命維持に基ずく渇望な訳で
それがあるから、人は様々な外部世界を
探索し、より安全かつ効率的に目的を達成
しようとアレコレ考えたりもした訳です

効率を求めれば、そこには
様々な事物という存在がもっている数学原理も
分かろうとしなければ達成できないし
また、人と人が互いに混乱せずに
お互いが、それぞれに目的を達成するには
自分が今何をしようとしているのかを分からせたり
1人では達成できないけど、協力すれば出来る事が
ある事を知るには、言語の力は計り知れません

そうしたすべてが生みだされる根本原理が
人1人が生きるために自然な状態で持っている渇望
であるのは明らかではあっても,,,
逆に、そうした渇望があれば
すべての生物が同じような道をたどるというモノでは
ない点が難しい訳で...

人にとってだって、そうした道のりが
トントン拍子に辿り着けた道なんかじゃなかったにしても
闇雲にデタラメを繰り返すなどという余裕などという
モノは、生存競争の厳しい原始の時代にあって
できるものでは決してなく
人が歩んで来た道は、動かし難い確実性を感じ取る
類まれな能力によって着実に切り開かれて行ったのは
ほぼ間違いありません

こうした事が可能であったのは
今この時代にあって、バカな者たちが普通に暮らす
時代の中では、あまりも画期的な想像を絶する快挙
である言語体系の構築などというものを
言語というモノを持たない者が、どうやって
そもそも作ろうなどとしたのか
また作るにも、それらの言語要素のもつ多義的な
相互の深い基本的世界認識の使い勝手のいい体系を
完成に漕ぎ着けるまでの想像を絶する労力は
果たして現存する人類に、そうした能力があるのか
さえ疑いたくなる程の哲学的かつ現実的な
すべての才能の集結を、そこに見ます

つまり、4大文明のような想像を絶する強大な権力の
集中がなければ決して為しえた事ではないと確信します

話しがアラヌ方向へ来てしまいましたが...
人が歩んできた道は、それ自身が奇跡の連続の
ようにも見えます
そして、その上に胡坐をかいて
ただ、その過去の遺産を食い潰しているダケで
果たしていいのかとも考えたくもなります

人類が言語という世界を構造的に認識するための
一般的フレームを生みだした事以上の
奇跡を起こす事が、今の人類の課題と思いますが

元に戻って...
そうした個体としての人の渇望などは
元をたどれば個々の細胞の生きる力の総意に
過ぎない訳で...
仮に脳以外のすべてが自己充足された装置に
置き換わった存在という究極の姿を考えますと
そこには、生きる渇望などは不要な訳で...
すべては、装置を働かせるenergy源の電力などで
充足している訳です
と言いますか、言い換えれば...
脳以外のカラダにとっては
脳などという存在は、仮想的な空間にウツツを抜かす
困った存在でもある訳ですが...
その脳こそが自分であると主張する訳で...
そんな生物は人以外にはおりません

他の動物などでは、ほとんどの場合
足1本を失って逃げる能力が欠落した時点で
生命を終えるのが普通であって
脳ダケが自分であるなどという事はありません
まあ、トカゲの尻尾切りなどは例外的にありますが
すべての組織が万全に機能してしか
個体として生存できないので、すべての組織の意味は
同等な訳です

脳が潜在的にもっている
このカラダを無視して自分自身があると
感じてしまう現象は
脳の中に、外にある、ほぼすべての世界を
凝縮した仮想的世界があるからと思います
その世界の中心は、いつでも自分自身という訳です
本当は、そうした仮想世界は
過去においてカラダを通して作りあげたモノであるのに
出来上がったモノには、その時のカラダの印象というのは
必ずしも必要ではなくなっているから
そう思えてしまうのでしょう

ところが、次世代の生命が
始めから、ソレを繰り返す時には
いきなり出来上がった脳など無い訳で...
大切なのは、カラダの使い方でもあって
カラダなしに脳がこの広い外部世界を
仮想的なモノとして脳内に凝縮する事など
できるものではありませんね

それでも、育てるという意味では
やはり心をとらえる事が一番大切なのは
言うまでもありませんので
やはり、カラダは二の次にされてしまいますが
その子自身にとっては、切っても切れないのが
このカラダというモノなのも、また明らかですよね

それでも、また、心がすっきりとして
澄み切った状態は、カラダにとってもトテモいい
のは明らかでしょう
でも、ソレが実現するには
自分一人ダケでは限界があります
まったく別の人格をもった者が、喜ぶ姿が周囲に
溢れ返ってる状況こそが...
しかも、その喜びの因果関係に深く自らの関与を
ハッキリと、それぞれの方々が自覚し
覚醒的に喜びの共有を意識した関係が、そこにあれば
もう怖いモノなしでしょうね

大抵の病など恐れをなして近寄れない程の
パワーがありますね...そういう空間には...

そういう空間に、飛躍的な創造力が宿るのも
これまた必然でしょう

すべてを生み出す力をもった空間とは
そういうモノでしょうね
でも、なかなか、そういう空間を作ろうとしても
簡単に作れるモノじゃーないですよね
ソレには、包み隠さぬ開いた心と
疑惑の果てしない連鎖の先に、動かし難いモノとして
突如出現するようなモノですからね

でも疑惑の連鎖の先に出現するからコソ
その動かし難いパワーには圧倒されるモノがあるん
ですからね
それでも、さらに疑惑を向ける事さえ
まったく可能なんですが...
ここまで来ると、その空間の癒し機能に覚醒する訳です
つまり、疑い得ると知りながらも
疑う事の無意味さに気づく事が起こるんですね
当然、当たり前の論理矛盾は瞬時に一刀両断する意識で
誰しもおられる訳ですね
そうではなく、意味なき疑い...ゆわれなき疑惑が消え去る
点が画期的なんだと思います

これを、心の澄み切った状況と言わずして
他に、そういうモノなど無いでしょう

またまた話しがズレましたが...
地上に生まれた生命が今何億年もの歳月の果てに
自分自身を胚胎した、この世界自身を知るまでになって
すでに久しく、もう何千年も経過して来ている訳ですが
この知るという事の正確な意味を考えますと
そこには、この広い【世界】が
小さな脳と言う組織の中に自在に操作できる
【対象】として存在している事は...
つまり、言語というモノが表記され
それ自身が世界を記述し、かつ人によってイジル事の
できる、そういう【対象】であるモノが発明された
出来事が原因に決まっていると思います
つまり、操作できる【対象】という感覚が
高度に覚醒されたモノが意識の起源に違いありません

その核となる感覚は、すべての動物に存在する
生きようとする渇望であり、すべての力の根源です

話しを一度打ち切りますが
こうした話しは、生命の起源の話しにも
つながるものです
何れ、そういう話しにつなげたいと思います
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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿.1 | 投稿日時 2014/4/12 10:46
like-mj  一人前   投稿数: 768
これまで現代数学の高度に抽象化された
緻密な論理を正しく適用し続けていて
あのマジで世界を震撼させたEdward Witten
さんと話しが通じる
あの立川祐二さんでさえ...
twitterで言ってる事は
***
自分の問題点を棚に上げて他人を批判しては
いけないようだと
聖人君子以外世の中を正せなくなって
それでは世の中悪くなるばかりなので
自分の弱みは棚に上げて
じゃんじゃん言って行かねばならんのだ
***
このコメントなんかは
あのIsac Newtonの有名な浜辺の子供の心境
の現代版と言えるものでしょう

小保方さんの抱える問題と似ていて...
作曲という表現の具体的方法を持たない
さらに重症なケースが佐村河内さん問題と
言える気がします

2つの問題に共通する事は
自身が問題の核心を捉えたと
自覚している点にあると思います
なかなか、そういう確信は持てないものです
なぜなら、すべての辻褄が自身の中で完結せずには
そこまで確信できないからで...
こういう整合性というモノは
すべての出来事の確信の背景にあるモノであって
動かし難い出来事の成立の背景を深く考察する事
なしに出来るものではないと思います

強いて言えば、この整合性が完結する事こそ
科学の核心であるダケでなく
あらゆる創造的作業の核心にあるものと思います
こうした抽象的な考えの輪が閉じる事は
人がごく普通に生きる中にもあると思います
そういう輪がなければ、人というモノなど
不安で仕方ないし、どうしても輪を求めてしまうと
思います
分かり易く言えば...
倒産しそうな会社でなければ
ある程度誠意を尽くし一生懸命にやっていれば
明日も、きっと今日と同じような日が来るだろう
という、そういう感じに似ていると思います

そういう基本的な繰り返し性を感じるモノが
失われてしまうと、とても不安でいられないと
思います
日々の繰り返し性などを考えても
ソコに明確な根拠などを求めたとしても
必ずしも会社の経理的収支ダケで説明できるモノでは
ありませんよね
そこには不確実な要素の展開を予想していく考えが
どうしても必要であって
そういう抽象的な考えを放棄した会社は
すぐに消え去ってしまうと思います

このように日常においてサエ
不確かなモノを手探りで予想する事が
その核心にある事を考える人は
普通では、その企業の役員クラスでしかなく
現場の記者なんかは、そういう論理など知らずに
生きている訳ですから...

こうした問題の核心が宙に浮いてしまうのも
仕方のない事なんでしょうし
明日の自分の仕事が突如失われてしまう思いを
持たない者では、なかなか理解するのは
困難と思います
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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2014/4/13 8:12 | 最終変更
like-mj  一人前   投稿数: 768
それでも少し笑いを込めて...
僕もやってみたいって
立川さんが
アル講義を履修するのに
履修者が射程に入れなくてはならないとされる
知識の総体を提示した一覧を見て言ってますが

また、こんな条件付きの講義を取れる人いるの
っても言ってます

理論的な問題の整合性を問うことって
そういう広い範囲のことが気になるもの
なんだとも正直思います
立川さんの論文の背景を考えたら
途方もなく広くて深い範囲の整合性を
問題にしているのは明らかですし
それでも、彼がそういう条件をタダ提示
する事にためらいを持ってしまうのは

最初に、全体を貫くモチーフなくして
そうした広くて深い範囲すべてを
つなぎ合わせることなんか出来ないとも
感じているからとも思いますが
それでも尚、人類がすでに構築した橋頭保が
各地に点在し、それを驚きをもって
迎え入れない感性では
最前線を走り抜くことなど出来ないのでしょう


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