PR

二者択一問題について

  • この会議室に新しいトピックを立てることはできません
  • この会議室ではゲスト投稿が禁止されています

投稿ツリー


前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿.1 .2 .3 | 投稿日時 2014/3/9 10:57 | 最終変更
like-mj  一人前   投稿数: 768
この世の中には
ぶっちゃけ、二者択一を迫られている問題
というものがあって
最後のサイゴには、どちらを生かすか殺すか
という結論を下さなければイケナイように
見える問題というのがありますが...

この問題には、ある気分が関係し
こうした問題が本来二者共存という
間違いなく存在する道への扉を閉ざしてしまう
事もあり得る点に注意が必要です
それは、もう面倒だ...っていう気分です

あらゆる存在するモノには
何らかの使い道というものがあると思います
これがナイのなら、そもそも存在に至る事自体
が無かったような、そういうモノです

ここで、注意が必要なのは...
その使い道というモノを考える時に
もっと使い易いモノとの比較には意味がない
って事の意味を分かる事です

存在というモノは、それ自体神秘であり
それに優劣などというモノは
その神秘性がもつ無限性のために
意味を失ってしまうような下衆な考えに
過ぎません

でも一方で、あらるる可能性の中から
人というものは、どれかを選ばない事には
生きていけません

どういう感じのモノを選ぶかは
その人というモノを特徴付けるものでしょうが
結局、何を選ぼうが然したる重要性など
ほとんど無いのが、ぶっちゃけた話しで...
生死を決定付けるような大問題などとは
比較になりません

ところで面倒だってモノがあるのは確か
なんだと思いますが、そもそも生きる事自体が
面倒って言えば、一番面倒な事な訳で...

世の中、面倒な事だらけって言えなくもない
訳です
一番楽なのは、存在しない事ですからね
そうは言っても、やはり面倒な事を
本気で一切避けてしまったのでは
逆に生きてはいけないのも確かな事です

では、ここのトコは本来どう考えるべきなのか

世の中には、誰かしら、目の前にあるような
面倒な事を、面倒でなくしてしまう人という
モノが必ずいる...という事です
言い換えれば、面倒に思えるのは
そういう Golden Root を知らない
というダケなんだって事を...やはり
分かる必要があるんでしょうね

コレが出来ないのは
時間を過去に遡ったりする事くらいなモンと
思います
あらゆる問題には、その問題固有の
とても気持ちのイイような、スッキリとした
答えというモノが必すあるという事を
***証明するとかの硬い考えじゃなく***
感じ取る事ができれば...
誰しも、そういうモノを探そうとスル訳です

宝くじに当たるとか、時間を遡るような
無限に小さな可能性のモノは
すべて、同じ様な体裁を感じるモノであって
目の前にスグに出て来る答えがあり得るモノは
そうだと分かるのですね

これを誰しもが感じられるダケで
世界は、180度変わると思いますね
投票数:0 平均点:0.00
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2014/3/9 19:03
like-mj  一人前   投稿数: 768
本当の二者択一問題に出会ったならば
迷わず、その道を選ばなければなりませんが

でないと生きれるモノも殺しかねません

一番難しい問題は...
人を考える時で
人というモノは、世の中の流れに乗っている
時には、何を考えなくても、その流れに
逆らうものではありませんが

ソレは、そこに自分の居場所がある場合で...
会社や何らかのグループなら
そこには、そうした組織を
より充実した、完成度の高いものにする気持ち
は、それぞれの人たちの共通する思いな訳ですが
私が納得できない事が1つ身近にあります
それは...人には人の上に立ちたい人というのと
そういう上の人の役に立つようになりたい人
というモノが一般にあるらしいのですが...
人の上に立とうとスル者の振る舞いが
納得できない事があります
私なんかは、上の人の役に立てればイイと
考える方なので
立派な人と、自分が感じる人に対しては
感謝の気持ちが優先し、対等に
見下すような態度を取る事ができません

具体的には、どうもありがとう
とも言えない程です
ッスすいません
ってなります

この、どうもありがとうサエ
私に言わせれば、見下した表現に思えます
なぜか...
『ありがとう』というのは
自分にとって意味があって助かったという
意味だからです
自分など出すべくも無いと感じてしまうのです

まあ、もっとも言葉のsentenceよりは
その表現に込められた気持ちなんですが...
ですから、同じ言葉でも内容は確定せず
その意味は、言い方に大きく依存します

だって、そうでしょう
言葉の文字列だけで、意味が確定するなら
人である必要性なんかナイのですから...

ですから、気持ちがソコに、キッチリある人と
ナイ人には敏感な気分も持っていますが
でも一方で、そういう感覚一辺倒なのも嫌いです
なぜなら、人というのは
本来、人との関係以前に、周囲のいろんな状況
の中に存在するモノだからです
そうした状況を冷静に見つめるには
一度人との関係を、自由なモノに捉えなおす
必要があります
あまり人の細部にこだわったのでは
こうした状況は見えなくなってしまいます

ですが、本来どうあるべきかという姿勢は
ハッキリと確定している訳です

私のやってる透析というモノは
そこで世話をしてくれる看護師の方々は
とても気を使うものなのです
そんなに気を使う職が他にあるとも思えません
とても深い感謝の気持ちで一杯なのですが

そういう感謝の気持ちではなく
自分を世話してくれて...どうも程度の
割り切った考えの方や、とにかく自分の世界を
中心に回そうという考えが結構見られます
私なんかは、そういう看護師ワールドの
周囲を回る小さな衛星で満足なのですが...

自分は自分、あなた方の下じゃーありませんよ
などと良く思えたものと驚くばかりです

かと言って、上にあろうとスル意識のカケラさえも
そこには感じる事ができません
ただ、駄々っ子のように、そう主張している
ダケに見えます

こういう考えは、過敏過ぎるのかも知れません

ある意味、家に帰れば
みな、それぞれの生活が待っているんだし
そういうのが、その人の人生の中心なのは
当然の事なんですから...

でも、そういう家庭以外の
会社であっても、何であっても
この世界を成り立たせている
基本的な組織のすぐれた働きを失ったら
たった数人の力では、どうする事もできない
という点をしっかり見つめていれば
そういう組織が、元気よく活発に回り続ける事
を支援する気分くらいはアッテ当然とも言えます

でも、そう考える者が少なくて
そういう考えが、面倒だとか
とても窮屈でやってらんない
とか思う方が多ければ、そういう方が
ドンドン自主的に移動し減ってしまうなら
私が、その原因ともなり得る存在として
close upするのは間違いありません

ここに二者択一問題が生まれています
私が居なくなるか、そうした大多数の者が
いなくなるか
私の前で治療をされている一代で会社を興した
会長さんが、帰り際に人が減ってるらしいね
って言った事が気になります

自分が心血を注いで育てた会社であっても
それにこだわりがある限り、会社なんて
自由に回り続けられるモノではないでしょうから...
その心中、察するに余りあります
一方で、これだけは会社の精神として
残り続けて欲しいというモノがなければ
そもそも会社など興す謂われもありません

それダケに重い気持ちを感じてしまう
今日この頃であります
投票数:0 平均点:0.00
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2014/3/9 20:09
かんねん  スタッフ   投稿数: 40
大学時代、尊敬していた先輩に、「一見、二者選択に見えるものを突きつけられたとき、実は選択肢が二者ではないことはよくある。それを見抜く力を持つことが肝要。」との教えを頂きました。人生訓の1つです。
投票数:0 平均点:0.00
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿.1 | 投稿日時 2014/3/17 22:09
PXD02546  一人前   投稿数: 151
今晩は失礼します。
二者択一というのは哲学的に二元論ですね。白か黒か。善か悪か。
それに対してユダヤ・キリスト教が一元論であることは良く云われます(とはいえ、ベルシアのゾロアスターやカナンの宗教の影響か天使と悪魔、天国と地獄というが)。
日本人は試験で択一に慣れ親しんでいるので多元論だと思います。?
投票数:0 平均点:0.00
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2014/3/19 0:21
like-mj  一人前   投稿数: 768
二元論の方が一元論より選択肢が広いとも
言えるし、さらには...n元論ならn個も
選択肢があります

でも、選択肢が増えるごとに
問題は、ずっと複雑になってしまいます

何かを分類するのに、2つに分けるか
すべて同じであって1つと考えるか
或いは、何種類もあると見るか

2つに分けるメリットは...
2つの間に関係性が生じ、それで何かを
説明できる事ですが
n個に分けるなら、より詳細な関係が
分かるかも知れません
でも、説明なんかよりズット大事な事実を
伝えたいのなら、すべて同じであると
考えることに意味があるかも知れません

すべてが1つであるというのは
説明できる事ではないと思います
それは信じる事なんでしょうね
存在そのものの深淵さを感じ
説明などくだらないと喝破するとも言えるかも
知れません
でも、人に男と女がいるように
そういう違いを際立たせるように
人の歴史が展開して来たのを、すべて無に
帰してしまうことも、また出来ない相談です

また、自然の中にだって
プラスとマイナスの電荷というものは
厳然と存在します

それでも、男とか女というカラダの違いを
超えた人としての深淵な気分があるのは
そういう違いに執着していたのでは決して
見ることは出来ないでしょうが...
だからと言って、存在としての違いが
いつ如何なる瞬間であっても消滅してしまう
事などあり得ません
ふと気づくと、そこには男なり女がいる事に
気づいてしまう事もあります
それでも、必死になって人の生き方の深淵を
求め続ける限り、それはアッテも見えない
そういう意味で1つの人という存在と
言えるのかも知れません

必死に信じ続ける事は
そうした存在としての違いの先を見ることに
つながると思います

でも、最近問題になっている
弱酸性下で、分化した細胞が初期化されるか
どうかなどを、明確に証明する問題のような
場合、H+の濃度という、マクロな変数なんか
は、おそらく生命が発生したばかりの頃
周囲の環境条件として、具体的なミクロの
分子なんかを考えるという途方もない相互作用
を計算することに比べた場合
どういう分子があろうとH+の濃度なんかは
おそらく、そうした生命の進化を考えるのに
もっとも分かり易い設定なんだと思うのは
私ダケではないと思います

でも、現時点の知識の延長で考えるなら
前にも、HOTな話題って事で...
微小管や、小胞という具体的な注目すべき
存在を言いましたが...
とくに分子レベルの移動の問題には
熱的なrandomなゆらぎがアチコチにある訳で
そういう細胞内にあって
一連の働きが意味をもって完結するには
そこに、しっかりした形をもった可動できる
レールのネットワークが縦横に張り巡らされて
いて、それを作る基本単位の微小管や
核からの指令で作られたタンパク質が
袋に詰められて、そのレール上を移動する
ような最新のimageを更に展開する方向が
論文を書くにしたって、人に分からせるに
したって、説得力があるし
これまたyoutubeビデオで紹介いたしました
DNAシーケンサーの驚くべき進歩があって
ヒト・ゲノム計画で何年もかけた作業など
今や数日仕事になってしまった訳で...
そういう装置も使いこなせば
分かり易く、カッコいい論文など
すぐにでも出来そうな時代なのに

事実、北大の方なんかは
鉄の鱗をもった貝の、相当深い内容を
調べ上げた事が、ネットでも紹介されて
おりましたし

いろんなトコで爆発的に知識が
蓄積されつつあって、ガン制圧も夢では
なくなっている...という話しも満更でも
ないでしょうね
政府の投入する予算も、生物関係が
一番多いんじゃナイっすかね

それでも、生命の進化を考えるには
外界との関係、その外界というモノを
どう理解するか
どうして生命は進化できるのかが
もっとも根源的な問いである事に変わりは
ないと思います


投票数:0 平均点:0.00
  条件検索へ


PR