PR

力学は、なぜ成立しえたのか

  • この会議室に新しいトピックを立てることはできません
  • この会議室ではゲスト投稿が禁止されています

投稿ツリー


前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿.1 | 投稿日時 2013/7/29 21:57
like-mj  一人前   投稿数: 768
なぜ人は、物理のようなモノを
考えることができたのでしょう

こういう考えを思い付くには
どれ程の押さえ切れぬ心の高鳴りがあった事でしょう
バッハなんかが生まれる前の時代の
エーゲ海に囲まれたpisaというイタリアの町で
天空に輝く宝石のような星々の姿が、どれほど
この世のものとは思えないキレイさだったかを思います

航海を導く宝石の配置の幾何学が
地球を中心とする周転円の入れ子構造で
見事に説明され、それを微細な金属細工で
構造的な模型にしたものは
神聖ローマ帝国皇帝 Ferdinando Ⅰ de' Medici
の邸宅の間に飾られていた事でしょうし
彼の息子の家庭教師だった敬虔な
ローマ・カトリック教徒の Galireoが
考えたのは、イエスがエルサレム神殿の中で
やった事と似ていると思います
つまり、我々の住む、この一見クダラヌ世界の中に
天空の真理が貫徹していなくて、まったく
遠くて手の届かぬトコにあるようなモノをタダ
仰ぎ見る事に、何の意味があろうか
って考えたに違いないと思います

こうした敬虔さは、哲学の母であり
同時に数学や物理を生むことに通じるもの
なんだと思います

動く船の甲板の上で jumpする問題なんかは
小学生が、バスや電車の中でフト気づく
最初の不思議現象ですが

そうした不思議現象にも2つのモノがあると思います
どこにも不思議を装う感じのナイものと
見るからに不思議を演出しちゃってイルものです
本当に信頼できる不思議というのは
誰も、それを不思議とは言わないけど
でも、ヨクヨク考えると不思議なもの

それと大事な点は、たった一人の自分の前で
それが延々と起こり続けるモノなら本物でしょうね

世の中には、そういうマジの不思議さというモノが
アルというのも、古典物理との最初の出会いと思います
ソコには、通常の感覚を支える論理が試され
そうした感覚を超える論理へと導く、キッカケがあると思います

慣性の法則というモノが。。。
速度という物の運動状態を表す量が
そうした運動状態を見るという意味での
どれだけ速いか遅いかという事ダケでなく
そこに質量という、物と切り離せない
その物が、ソコに存在する意味のような量と
深く関係していると知るならば
存在しているモノがそう簡単に消え去る事が
ナイのと同じように、ある運動状態に存在する
物というのも
その運動状態自体というのは
そう簡単には変われるものでは無いという
意味で理解できる訳で。。。

一種の存在の意味の拡張になっている訳です
それに、速度というものが、
質量をもつ事により、そう簡単には
変わらないという理解に立てば
それを変えるモノの重要性が分かるってモンで
それが力な訳ですし
ソレは、物の存在にとっては外部要因な訳で
その外部要因が、存在としての物の意味の上に
落としたモノが、加速度という量な訳です

つまり、ただ速度・加速度という量を
直接考えた訳ではなく
速度というモノを質量と関係させる事によって
存在としての性質を、運動している存在へと
拡張する中で、慣性の原理を理解したからコソ
加速度というモノの真の意味が
外部要因によって、運動する存在のあり方が変わる
その変わり方の、物に即した量が加速度と分かった訳で

タダの位置の2階微分という考えで理解できる
ようなモノでは、そもそも無い訳です
慣性の原理を知らなければ、一般に
任意の階数の微分というモノが数学的には存在する
のですから。。。
この1階微分が質量と深く関係して
外部要因が働かなければ、どこまでも存在としての
運動状態は**変わる事がナイ** と言い切れた点に
2階微分に、その変わる事のナイ存在の性質が
外部要因によって、変えられてしまった
まさに、その変えられた程度を表現するという
特殊な意味が与えられるのですからね
1、2、3、・・・という計算の2番目という
意味とは、まるで異なる訳です
投票数:0 平均点:0.00
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿.1 | 投稿日時 2013/8/13 14:48
K一郎 

初めて投稿します。K一郎です。

私も同様の疑問を感じたことがあります。ただ、少しだけ違った視点から投稿させてください。
私の疑問は少しだけ違っていて、
「なぜ西洋だけに物理が力学が成立したか?」です。

>こうした敬虔さは、哲学の母であり
>同時に数学や物理を生むことに通じるもの
>なんだと思います

ここでいう”敬虔さ”というのは、
ギリシャ神話やアリストテレス哲学の世界のお話と私には思えます。

そして実際に数学や物理を生み出したのは「全知全能の神が創ったものの原理が美しくないはずがない」というある種の”傲慢さ”の考え方がアリストテレス哲学と融合した結果だと思います。

本文の後半で述べられているお話も
アリストテレス哲学や中性スコラ哲学の議論と似てる面があるのは偶然ではありません。

そんな視点から、力学の誕生について考えてみるのも面白いと思います。


投票数:0 平均点:0.00
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2013/8/13 23:52
like-mj  一人前   投稿数: 768
引用:

K一郎さんは書きました:

そして実際に数学や物理を生み出したのは「全知全能の神が創ったものの原理が美しくないはずがない」というある種の”傲慢さ”の考え方がアリストテレス哲学と融合した結果だと思います。

私が一番言いたかった点は
そのような美しさを追及するような
傲慢さと言うよりは
ただ仰ぎ見るダケの天空の美しさに
何の意味があるか...
っていう意味で、傲慢さなどとは
対極にあるってコトで...

ソレさえも傲慢だと言ってしまえば
それは、何でもカンデモ傲慢になってしまうと
思いますが...

別の話しで...もっと傲慢に見えても
その本質が決して傲慢とは言えないモノに...
言語形成というモノが、西欧ダケでなく
古代文明が生まれたすべての地域で
権力をもった皇帝のような存在が
どんなに倒した敵を八つ裂きにしてしまう
ような、およそ考えうる残虐なモノであっても
そのような時代にあって
一般の人々というものが、互いに信じあい
助け合う存在だからと言って
この権力の集中という processが無ければ
他の強い猛獣や、部族にヤラレちまって
生き残ることなど出来なかったし

そもそも、現在の私たちがイルというのは
互いに信じあい助け合う心のキレイさを
もってイタかも知れない
ネアンデルタール人のような種を駆逐して
しまった結果でナイなどと言えるでしょうか

一番知らねばならない点は...
私たちが生きるタメに今現実に何をしているか
私たちはタダ食うタメに、牛や豚を育て
何のためらいも無く、無理矢理にトラックに
乗せて、屠殺場へ送っているのですからね
牛などは、自分がドコへ連れていかれ
何が起こるのかを感じるのか
必死になって抵抗しますよね

これが逆の立場であったらドウでしょう
私たちの仲間が、知恵をもった牛なんかに
食うために育てられ、何のためらいも無く
当り前のように食われているとしたら...
これを modelにした最近のアニメが
『 進撃の巨人 』ですが...
でも牛や豚との決定的な違いは
彼らは一切抵抗することなど出来ない訳です

話しがズレまくってしまいましたが
人というのは、過去においては
獰猛な猛獣たちから、自分の身を守る
手段を、空を飛ぶとか、デカイ体で対決する
といった能力をもたなかったが故に
おそらく、最初はほとんどイイように食われ
ちまった訳ですよね
私は、石などの武器を偶然手にして
それで、自分の体の能力を超え
猛獣を一撃で殺した経験が人を変えたように
思えます
そういう経験がなく、素直な気持ちで
食われ続ける事止む無しという
他の動物たちと同じ意識のままであったなら
いまの私たちなどいない訳ですよね

そういう方向へ歴史の歯車が回りだしたから
今という地点へと到達できたんダト思います
それでも、元々の弱かった素直な時代の
信じる心を失って、タダ単に敵を倒すという
意識ダケであったなら、これまた...
戦いの果てに共倒れし、歴史から消え去って
しまった訳で...

敵を倒す方法を様々に確立すると共に
そうした事の空しさというモノにも
気づくダケの矛盾した思いを同時に
持ち続けて来たから、絶滅する事なく
ここまでの文化や文明を作り上げたと思います

つまり、単純に傲慢さダケとか
そういう問題ではなく
矛盾する2つの思いを共存させている
人類というモノの姿を、ソコに見なければ
何も理解できないと思います

話しは戻りますが
なぜ、Galireoが東洋とかに出なかったのか
これには、いろんな理由があるんでしょうが
アテナイの学堂のような自由な文化が
古代ギリシアに、なぜ生まれる事が出来て
他の地域には出来なかったのか
なぜ、その地域では自由という考えが
生まれる事ができたのかに核心があるように
思います

他の地域では、すべては皇帝を中心に回るダケ
の世界観しか生まれなかった訳ですからね

なぜ、古代ギリシアだけに市民という考えが
生まれたのか
もしかしたら、あのエーゲ海沿岸という
独特な構図が関係するのかも知れませんが...

それでも、市民の下には
コロッセオで見世物にされた Gradiatorたち
の悲しみはあった訳ですが...
政治に直接関われる自由な市民という存在は
古代中国や、古代インド、メソポタミアなんか
に生まれなかった点は決定的な気が致します
投票数:0 平均点:0.00
  条件検索へ


PR