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Re: 力学は、なぜ成立しえたのか

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like-mj

なし Re: 力学は、なぜ成立しえたのか

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2013/8/13 23:52
like-mj  一人前   投稿数: 768
引用:

K一郎さんは書きました:

そして実際に数学や物理を生み出したのは「全知全能の神が創ったものの原理が美しくないはずがない」というある種の”傲慢さ”の考え方がアリストテレス哲学と融合した結果だと思います。

私が一番言いたかった点は
そのような美しさを追及するような
傲慢さと言うよりは
ただ仰ぎ見るダケの天空の美しさに
何の意味があるか...
っていう意味で、傲慢さなどとは
対極にあるってコトで...

ソレさえも傲慢だと言ってしまえば
それは、何でもカンデモ傲慢になってしまうと
思いますが...

別の話しで...もっと傲慢に見えても
その本質が決して傲慢とは言えないモノに...
言語形成というモノが、西欧ダケでなく
古代文明が生まれたすべての地域で
権力をもった皇帝のような存在が
どんなに倒した敵を八つ裂きにしてしまう
ような、およそ考えうる残虐なモノであっても
そのような時代にあって
一般の人々というものが、互いに信じあい
助け合う存在だからと言って
この権力の集中という processが無ければ
他の強い猛獣や、部族にヤラレちまって
生き残ることなど出来なかったし

そもそも、現在の私たちがイルというのは
互いに信じあい助け合う心のキレイさを
もってイタかも知れない
ネアンデルタール人のような種を駆逐して
しまった結果でナイなどと言えるでしょうか

一番知らねばならない点は...
私たちが生きるタメに今現実に何をしているか
私たちはタダ食うタメに、牛や豚を育て
何のためらいも無く、無理矢理にトラックに
乗せて、屠殺場へ送っているのですからね
牛などは、自分がドコへ連れていかれ
何が起こるのかを感じるのか
必死になって抵抗しますよね

これが逆の立場であったらドウでしょう
私たちの仲間が、知恵をもった牛なんかに
食うために育てられ、何のためらいも無く
当り前のように食われているとしたら...
これを modelにした最近のアニメが
『 進撃の巨人 』ですが...
でも牛や豚との決定的な違いは
彼らは一切抵抗することなど出来ない訳です

話しがズレまくってしまいましたが
人というのは、過去においては
獰猛な猛獣たちから、自分の身を守る
手段を、空を飛ぶとか、デカイ体で対決する
といった能力をもたなかったが故に
おそらく、最初はほとんどイイように食われ
ちまった訳ですよね
私は、石などの武器を偶然手にして
それで、自分の体の能力を超え
猛獣を一撃で殺した経験が人を変えたように
思えます
そういう経験がなく、素直な気持ちで
食われ続ける事止む無しという
他の動物たちと同じ意識のままであったなら
いまの私たちなどいない訳ですよね

そういう方向へ歴史の歯車が回りだしたから
今という地点へと到達できたんダト思います
それでも、元々の弱かった素直な時代の
信じる心を失って、タダ単に敵を倒すという
意識ダケであったなら、これまた...
戦いの果てに共倒れし、歴史から消え去って
しまった訳で...

敵を倒す方法を様々に確立すると共に
そうした事の空しさというモノにも
気づくダケの矛盾した思いを同時に
持ち続けて来たから、絶滅する事なく
ここまでの文化や文明を作り上げたと思います

つまり、単純に傲慢さダケとか
そういう問題ではなく
矛盾する2つの思いを共存させている
人類というモノの姿を、ソコに見なければ
何も理解できないと思います

話しは戻りますが
なぜ、Galireoが東洋とかに出なかったのか
これには、いろんな理由があるんでしょうが
アテナイの学堂のような自由な文化が
古代ギリシアに、なぜ生まれる事が出来て
他の地域には出来なかったのか
なぜ、その地域では自由という考えが
生まれる事ができたのかに核心があるように
思います

他の地域では、すべては皇帝を中心に回るダケ
の世界観しか生まれなかった訳ですからね

なぜ、古代ギリシアだけに市民という考えが
生まれたのか
もしかしたら、あのエーゲ海沿岸という
独特な構図が関係するのかも知れませんが...

それでも、市民の下には
コロッセオで見世物にされた Gradiatorたち
の悲しみはあった訳ですが...
政治に直接関われる自由な市民という存在は
古代中国や、古代インド、メソポタミアなんか
に生まれなかった点は決定的な気が致します
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