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Re: Tomio Petroskyさんに質問しました

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like-mj

なし Re: Tomio Petroskyさんに質問しました

msg# 1.1.1.1.1.1
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5
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿.1 | 投稿日時 2017/4/9 2:24
like-mj  一人前   投稿数: 768
時間というものが
多くの自由に運動する物体が、互いに干渉しあい
全体として平均化された状態を作る過程によって
本質的には生じるものであるにも関わらず

そうした多くの運動の数学的形式から
たった1つの物質の自由な運動を記述する
parameterとしての時間が導かれるとは
到底思えない

1つの物体の運動を記述する時間というのは
同じ過程を周期的に繰り返す現象そのものであって、
元にキッチリ戻るから、それを
計測に使える訳で...
時間の本質が不可逆過程にあるにしても
その本質を計測に用いる訳にはいかない
なぜなら、それは延々と変わり続け決して
元には戻らないからです

つまり、時間の捉え方には2つあって
時間本来の、決して元には戻らない
量的に捉えられない性質と、それとは
まったく逆の、必ず元に戻る量的に捉えられる
現象を単位に、それとの比較で
運動による空間内の移動を量的に捉える性質が
あるように思える

元に戻る現象が、元に戻ってしまうからと
言って、そこには、時間本来の意味がないと
言えるかが問題だ

私たちは、この混沌とした世界に生まれ
ただ生きて子孫を残す繰り返しの闇から
世界を分かるための努力を続け、今に
至っている
世界を分かるための決定的な一歩が
巨大に集中した権力による言語形成や
度量衡制度の確立にあるのは明らかだろう

そうした文字たちは、世界の関係性を
表現するダケでなく、それを誰しもが
使うことで、頭の中に、この世界の縮図
としての論理構造が芽生え
ひいては、そういうモノを扱う自分自身が
その縮図の中に誕生する訳だ

こうした世界に、もともと存在しない
関係が人の頭に芽生えたのは
世界を文字に置き換え、その文字を
いろんな生きるための用途に応用し
あたかも、それが世界そのものと区別が
つかないくらいに使い込んだ結果なのだろう

文字というのは、書くことができるダケでなく
それを頭に入れることができ、さらに
それらの文字同志が論理的につながるように
使い込む内に、ただ単なる文字ではなく
他の文字とつながった論理的要素になり
こうした背景が、ものを考える基盤になったのは
明らかだろうし、そうした使い込みが
延々と続けられれば、何れ自分自身さえも
対象にするのは必然だろう

このように、変わりゆくこの世界を
文字という静的で、固定的なものに
対象化した事と、運動の記述を
周期現象で計測した事は
変わりゆくこの世界を知るための一歩として
まともな歩みだったと思う

こうした歩みなくして、混沌から離脱する
ことなど出来る訳がない

今、この段階で問われているのは
何なのだろう
Galireoに始まり、Newtonで完成した
力学という形式は、すべてが可逆な世界観を
作り上げ、量子力学でさえ例外ではない

今問われているのは
私たちという存在に自由があるとしたら
それは、この可逆につながって身動きとれない
世界観が、至るところで途切れる境界をもち

この問題は、流体の方程式が場の量で
記述され、熱力学の状態量の従う関係と
連立関係が成り立つように
ある意味で、不可逆過程さえも力学のframeに
リンクして理解できる側面は確かにある

それでも、音の伝播という
もっとも基本的現象を理解するのにさえ
可逆な運動しかしない気体では理解できない
という点は、今までにない論理構造を
問題にするものなのだろう

Einsteinなんかは
物理学とは何かで
音という現象に多く言及してますが
このレベルの認識ではなく、線形現象としての
ドップラー効果などの、運動に関係する効果に
注目していたようだ

また常温で超伝導転移を起こす物質の発見が
きっと世の中を、もっと住み易くすると思える
のですが...
そういう現象の理解にも
量子状態が崩壊する仕組みを具体的系で
分かる必要性があるし

これが分からずに、cooper-pairのような
Bose-Einstein凝縮するような量子状態が維持される
そういう物質系を設計など出来ないだろう

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