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時間の本性と相対性の本質

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lannaihong

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿.1 .2 .3 .4 .5 .6 | 投稿日時 2017/3/11 21:00 | 最終変更
lannaihong  新米   投稿数: 1
時間の本性と相対性の本質
陸山
2017.3.12
今日は草稿の形で皆さんと時間の本性と相対性の本質について探ってみたいと思います。
まず、時間は一体どこから来るのでしょう。時間の全体的な形成過程は次のようなものです。時計のムーブメントは常に振動し、文字盤上の針を均等なリズムで動かしていますから、時間は全て相対的なタイムクロックで平均的に過ぎ去っています。ムーブメントが一回脈打つと、文字盤の秒針は1目盛り進み、数値が1つ増加します。秒針の1目盛りは我々が日常で言う1秒を表し、秒針が60目盛り進むと、今度は分針が1目盛り進んで、1分になります。分針が60目盛り進めば、時針が1目盛り進みます。いわゆる1時間で、24時間は1日を表します。西洋文明において、我々は秒から年までこのようなプロセスで、一定の順序に従って時間の流れを感じます。人類は17000年余にわたり蓄積した知識を用いて時間を配置しています。暦法、時計に関する行為や宗教など、全て時間に対する探求が行われてきました。多くの人にとって、時間とは単に日、時、秒といったシンプルなことに過ぎず、その生活も時間によって左右されていますが、こうした人達は時間を客観的な現実とみなしています。しかし、別のある人達からは、時間は種々の幻想的概念として、捉えどころなく変幻極まりないもので、瞬時に消え去ってしまう魔法のように、知らぬ間に傍らからすり抜けてしまうものと考えられています。例えば宇宙学者、詩人、画家や地質学者達はこうした大変に貴重な時間を用いて想像に富む探求やゲームをします。しかし物理学者は、時間の連続性と規則性を以て自然世界の法則を捉えています。
同意を得られるかわかりませんが、自然の生活は我々に十分なヒントを与えてくれています。しかし、人々はそれを気にも留めないようです。今日、我々は皆時間を使っていますが、その時間については余り理解していません。時間は見ることも触れることもできず、その性質は依然直観の背後に隠れています。もし我々が、時間について物理学的な意味での実証と推理の力が不足していれば、物理学は相対運動の結果の中であがくことになるでしょう。初期の物理学者、ガリレイ―ニュートン(GalileoGalilei―IsaacNewton)は、時間を絶対的でリアルかつ数学的なものと捉え、その特性を均等に過ぎ去り、外在のあらゆる事物と無関係であると考えていました。時間にたいするこうした元々の概念と作用は一度も疑問を持たれることがなかったため、自然に対する認職における誤差が数世紀に渡り生じる結果となりました。後にローレンツ―アインシュタイン(HendrikAntoon Lorentz ―AlbertEinstein)によって、相対運動の時計の時間が多くの状況で相対的であることが発見されました。アインシュタインの理論と実験には微小な誤差はあるものの、このことは重要な意味を持つ第一歩へとつながりました。
問題の所在はどこなのか?私自身もこの方向に向けて努力しています。元来の時間の概念は運動学から電気力学へと順次発展していく過程において、その矛盾が次々に現れ始めました。ローレンツ―アインシュタイン理論と時間に関するそれまでの概念との誤差は極めて微小なものですが、もし我々が綿密に思考せず、実験検証や詳細な解釈なしに時間の本性と相対性の本質を表そうとすれば、真実性と正確度を追求する科学の神聖な精神に背き、手痛い結果を招くことになるでしょう。

物理学は如何に時間からの挑戦に応じるか?

物理学において、時間に関する研究は様々な批判検証を経ており、我々には参考できる時計の時間(時刻系)が多くあります。そのうち4種類の時刻系が物理学で注目されています。1つは太陽の動きを基準とする時間であり、この種の時間は太陽日に基づきます。2つめは計時装置が刻む時間で、これは太陽の日周期を分割して得るものです。
3つめは相対静止の時計の時間で、この種の時間は人々に極めて大きな便宜をもたらしましたが、同時に新たな困惑も生み出しました。4つめは相対運動の時計の時間で、この種の時間は相対的変化は比較的に小さいものの、物理学に混乱をきたし、その発展を大きく妨げています。
今日、お伝えしたいのは、我々がどのように科学を応用して時間からの挑戦に応じるかということです。
人類は常に科学的な方法論により時間について探求してきました。この探求は単純な思索と経験の蓄積に始まり、後には電磁の研究による相対運動時間の発見へと至りました。以下、人類が認識する時間について4段階に分けて述べたいと思います。
1つは太陽の動きに基づく時間(太陽時)です。我々の日常の経験では、昼と夜、夏と冬、潮の満ち引きには全て前後の規則性があり、これらは予想可能で不変の物理過程の把握に役立つものとなっています。人々は規則的で自然な太陽日の周期を基に時間を計算し、日の出から日没までを労働や食事に割り当て、そして睡眠を取ります。動物であろうが植物であろうが、一日の生活リズムはちょうど太陽日の周期に同期しています。初期の人類は主に地球上の自然の周期によって日、月、年を計っていましたが、後に日、月、年という概念を天体の見かけ上の運動を基に把握するようになりました。季節によって自然が示す時間の変化を知ることはできますが、こうした時間では自然世界の過程に対する理解を満足させることはできません。例えば一日の衣食住・移動の過程は、細心の注意を払ったとしても太陽日では詳細に描写することができません。
2つめは計時装置が刻む時間(固有時)です。最初、太陽日では、太陽の一定した日周運動を基に時間を計っていましたが、更に詳しく事象の過程を把握するために、太陽日の周期を更に小さな時間単位に区分し、天体の運動と同期できる装置が必要となりました。不思議なことに、こうした装置は存在していたのです。かつては太陽の運行と日時計の影を利用して時間の動きが計測されました。しかし日光が得られない時、例えば曇りの時や夜間では使うことができないため、水時計がそれに取って替わるようになり、滴下した水の量により時間を計測しましたが、水時計には寒い時には凍結してしまうという弱点がありました。1580年代、イタリアの数学者・天文学者のガリレイは振り子の等時性を発見しました。1650年代、オランダの科学者クリスティアン・ホイヘンス(ChristiaanHuygens)が世界初の振り子時計を発明し、振り子の振動と機械装置とをつなげ、振り子の規則的な振動を利用して時間を計ることで、時間の計測に革命的な変化がもたらされました。その後人々は原子の固有の共鳴周波数を基に、より精確に時間を計れるようになりました。しかし時計の出現は、我々に非常に大きな便利さをもたらした半面、新たな困惑も生み出しました。
3つめは相対静止の時計による時間です。19世紀後半、飛行機・電話・通信サービスが世界中に広がり始めましたが、各地では太陽を基に設定されたそれぞれの地方時を用いていたため、ある地域では日が照っているのに、もう一方の地域では真っ暗……といった問題に直面しました。例えば米国ニューヨーク(NewYork)が正午の時、オーストラリアパース(Penth)では真夜中にあたります。地球上の各地域にはその地域における日の出日の入りに合わせた「現地時間」が存在するため、人々は「現地時間」に神経を尖らさなければならず、苦痛に近いものがありました。今から見ると想像しづらい場面ですね。もし相手側の「地方時間」を知ろうとしたら、必ず一つの「現地時間」を通じてもう一つの「現地時間」を換算しなければなりません。このような情況はグリニッジ時(GreenwichMeanTime、GMT)、つまり世界の標準的な時間基準の誕生を促しました。グリニッジ時とは、イギリスロンドン郊外の皇室グリニッジ天文台における標準時間で、本初子午線がグリニッジに設定されたことによります。1924年2月5日から、グリニッジ天文台は1時間毎に全世界へ信号を発信し、それによって各地の「現地時間」を換算する問題を解決していました。地球上のどの場所も相対的には固定しているため、各地の「現地時間」は相対静止の時計の時間と称されます。しかし、想像もつかなかったことですが、「現地時間」からグリニッジ時まで、自然から理性への転換の大きな喜びの中にあっても、我々は長く暗い闇をまだ進み続けねばならなかったのです。これまで我々が解決してきたのは時間に関する問題のごく一部であって、問題はそう簡単ではありませんでした。
4つめは相対運動における時計の時間です。19世紀から20世紀へ変わる頃、電磁学の出現が、それまでの時間の概念に新たな挑戦状を叩きつけ、光信号の変化と物体運動に及ぶと既存の時間の定義に自己矛盾の結論が出始めました。最も代表的なのは、マイケルソン・モーリー(AlbertAbraham Michelson―Edward WilliamsMorley)が行った光行差の実験です。物理学では多くの理論やデータ、実践がありましたが、残念なことに、現在に至るまで理論と実験の間に極めて微小な誤差があることだけしかわかっておらず、問題の所在については全くわかっていません。幸い、最も著名なローレンツ―アインシュタイン理論ではある可変の時間概念を物理学の相対運動に導入していますが、この可変の時間概念の成因は依然はっきりとしていません。しかしながら、事象の体現と違う視点からの観測者とを結び付け、相対運動における時計の時間についての究明が始まり、人々は徐々に相対運動において「あなたの時間」と「私の時間」が異なっていることに気づき始めたのです。このことは如何に運動するかによって決まりますが、相対運動における時計の時間については更なる研究が必要とされています。

時間の本性に関する認識

以上、太陽の時間・計時装置の時間・相対静止の時計の時間と相対等速直線運動の時計の時間を例として挙げました。実は、アリストテレス(Aristotle)の時代には非常に優れた線形時間モデル、即ち質点モデルでの時間が既に存在しましたが、これまで長きにわたり、我々は時計の時間といった問題について真剣に考えることはまずなかったと言えるでしょう。我々は事象の順序について疑似的に表現することはできますが、物理学において全てそれで通じるかどうかはわかっていません。
更に、時計が事象の順序を記録することは、ただ行為の表層であって、時間の本質を表しているとは言えません。人類は時間によってこの世界の過程を理解しますが、この過程は客観的なものでしょうか?例えば、朝起きて、壁の掛け時計とベッド側の目覚まし時計とで、針の位置が違っているのに気づいたとしたら、どちらの時間が正しいか判断がつかず茫然としてしまうことでしょう。我々は直観、つまり視覚、聴覚、触覚等を通じてこの時間の世界を理解しますが、この過程は客観的でしょうか。間違いなく客観的ですが、しかし全てというわけではありません。我々が直観的に時間の世界を感じた後は、ただ時間の順序と時計との対応関係だけに注目し、時間間の間隔と時計との対応関係には注意が及ばないため、こうした面では客観的とは言えないのです。
時間という見えない世界を直観的に理解するのは難しいことでしょうか。 私は時間に固有の特性(静止して動かない状態)には4つの面があると考えます。1つめは等方性の概念で、これは同一の時計における時間の各量間の依存関係が方向とは無関係であることによります。例えば、周囲の任意の方向における事象の過程に対して時計が示す時間は全て同じということです。2つめは同時性の相対性という概念で、これは同一の事象に対して異なる時計が示す時間から定義されています。例えば、同じ事象に対して、2つの時計の起点を参照基準とすると、この事象に対して2つの時計が示す時間は相対的に同時であるとされます。3つめは連続的な規則性の概念で、これは同一の時計における時間各量間の依存関係から来ています。例えば、同一の時計が示す時間において、ある完了した事象に対し別の事象がまだ進行している場合、この進行している事象の所要時間は、もう一方の事象より長いとみなされます。4つめは量化可能という概念で、これは時計の周期即ち時間間の間隔、或いは時間の速度が不変であることから来ています。例えば事象の過程は、「チクタク」と刻まれていく時間により量化しますから、時計が刻む固有時は線形の質点運動ではなく、空間の等速領域であることがわかります。このため、私はイギリスの『International Research Journal of Natural Sciences』(第4巻2号、24―28ページ、2016年5月)掲載の「3次元の時空」(1)上で、度量衡を採用し、計測した空間距離の値の基準単位を時間波長と設定すれば、時間と空間を同じ単位を以て量化できることを発表しました。そうすれば、時空は観測できる量としてだけではなく、三次元として捉えることができ、時間が空間に取り込まれることで、いわゆる時空となります。こうした時空の概念があれば、空間により事象の過程を計測し、抽象的な等速領域の時間の量化が可能になります。 
等速領域の理論による時計時間の解釈は、どのような実験で証明できるでしょうか。時計と自然の太陽日とがぴったり結びついているため、人々が使い慣れている時計は地球上で観測できる太陽の動きに基づいて設定されています。こうした時計の時間の速度はrad/sで、地球の赤道での速度が465m/sですから、m/sとなります。人が視覚で観測できる物体の運動速度は音速より小さく(空気中の音速は346m/s)、ゆえに時間の速度は観測閾値を遥かに超えており、時計の等速領域に関して探求を進めようとすると、非常に困難なことになります。このため、私は米国の『International Journal of Sciences 』(第5巻、100―109ページ、2016年4月)で「参照系変換の測定基準」(2)を発表し、類比の手法を用いて波動速度が観測閾値内に収まる実験方法を探ることが人々の困惑の解決に役立つことを示唆しています。力学的な波や電磁波は波のあらゆる特性を有し、均等に落下する水滴が水面で生じる波動速度は観測閾値内にあるため、ファラデー(Michael Faraday)による電磁場の方法に基づけば、仮想時計は常にその周囲の空間にある種物理的に実在するものを内含し、均等に落下する水滴のエネルギー放出により生じる波動と同様、時間に固有の等速領域における時間実験モデルを得ることができます。均等に落下する水滴は時計に相当し、その水滴が水面で生み出す波動エネルギーの放出速度が時計の時間の速さに相当します。波動の波長が時計の時間周期に、波動のリズムが時間の順序に相当するならば、波動の距離は時計における時間の長さに相当します。それにより、時間は時計に固有的の等速領域とみなすことが可能になります。ある方向へ向かう質点として、等速領域として、更にはエネルギーとしても捉えることができます。よって我々は直観的に、時間に対して等方性の概念を持つのみならず、連続的で規則的な概念、同時的な相対性概念、更には一連の事象に対し、その過程の間隔を量化できる概念を持つはずです。
では、どうすれば相対時間の本性を見極めることができるでしょうか。「実在は本質に先立つ」ことから、事物の存在条件から逸脱し、事前に設定したモデルにのみ固執するならば、如何に論理が緻密で理論的に十分であっても、的外れな結果に終わることでしょう。均等落下水滴の波動実験モデルがあれば、二組の完全に同一な均等落下水滴の波動により、相対時計の時間関係を類比検証することが可能になります。実験結果では、相対的な静止時計の時間の大きさは時間の順序とのみ関連し、時間の周期とは無関係であることがわかっていますが、相対等速直線運動における時計の時間は順序のみならず、時間の周期とも関連することがわかっています。時計の運動速度が時間の速度を下回る時、相対運動の時計に対しては、時計の進行方向に沿った時間の周期と、逆方向の時間の周期との間には非対称的な周波数偏移が発生し、即ち時計の進行方向に沿った時間周期の収縮と逆進行方向の周期の膨張は大きさが相殺し合い、方向が相反します。垂直な時計運動の方向の時間は対照的なの周波数偏移が発生し、即ち垂直な時計運動の方向の時間周期は同時に収縮する方向と相反し大きさが等しくなるため、同じ時計の相対静止の時間と時計の等速直線運動の時間は完全に等価なわけではありません(2)。
しかし、よく考えみてみると、数学では単に数どうしの相互関係を研究するだけで、その量に対する関係については考慮しませんが、物理学では数学的概念のほか、その概念の量に対する関係についても研究しなければ、真に物理的な内容が得られないのです。とりわけ、運動・空間・時間といった概念ではそうです。一次量の数は有理数のため、連続し規則的な基礎の上に論理的に構築することが可能であり、その依存関係と関連性を導き出すことができます。同一の相対静止時計の時間周期は定数のため、同一の相対等速直線運動の時計における時間周期は1次量の数であり、その物理値間の演算は数の統一に帰結することが可能です。
そのため、時間の本性は時計の等速領域により決定されます。時間の本性を理解する手段として、等速領域の概念に勝るものはありません。次に、時間の本性が相対性原理へ投げかけた問いについてみていきましょう。

「相対性原理」に普遍的な意味はあるか。

アンリ・ポアンカレ(Henri Poincare)は『科学と仮説』で、初めて相対性理論を経験則として提起し、何らかの理論によって相対性原理を解釈あるいは証明できると考え、「相対性原理を逃れられないのは普遍的な自然法則であるといった印象である」断言しましたが、当時からすれば疑いようもなく正しい言であったでしょう。
相対性原理とは「静止した観測者であっても、等速運動している観測者であっても、物理現象の法則は同じである」ということです。不思議なことに、このような簡単的な現象が客観世界に存在し、この原理はあらゆる所に偏在すると信じられています。本当にそうでしょうか?もちろん違います。相対性原理が観測者の持つ時計の時間に如何に影響するか、実のところ物理学では解明されていませんでしたが、それはなぜでしょうか?原因は、我々がこれを直観的に感じることができないためです。
では、どのように相対性原理が普遍性を有しないことを証明するのでしょう。ポアンカレは、「我々はこうした運動を識別することはできず、またその手段も存在し得ない」と考え、問題の所在を求めて多くの科学者達が長い間探し続けてきました。問題の所在はどこにあるのでしょう。私は「相対運動は質点モデルにおける線形時間進化理論で他のあらゆる相対時空の矛盾を覆い隠し、こうした質点化による帰納法は、あらゆる参照系を一律に相対性原理の形態に当てはめて区分しており、不適格なものも無理やりねじ込める形になっている。自然に対するこのような描写法では相対性原理の欠陥を知ることはおろか、研究対象をより広い角度から観察することもかなわなくなります。相対性の運動・空間・時間といった概念を統合的に考えるべきであって、時計の時間と参照系を切り分ければ「木を見て森を見ず」、総体的には容易に自己矛盾へと陥ってしまいます。しかしながら、等速領域の時間モードを引用すると、相対運動の観測者は自らが持つ時計が刻む時間によって、自らに相対的な参照系が占める位置を量化することから、上述の類比実験検証の相対時計の時間は異なる運動状態においては周期も異なることわかるのです(2)。よって、相対性原理における参照系変換の測定基準は完全に等価であるという仮説は不十分、即ち相対性原理は普遍性を有しないということです。よってこの相対運動の時計の時間周期は相対運動観測者が持つ時計の時間に微小な変化を生じさせると考えられています(2)。このことより、ガリレイとローレンツ変換の関係は共変的であることが容易に証明できます。非常にシンプルなことで、自然が我々に十分なヒントを与えてくれているのです。
一つの問題として、ある一定の距離は何らかの物差しを用いて測ることができるかと問われれば、疑いなく可能であると答えるのが通常でしょう。そこでもう一つ、物差しではなく光でこの距離を測るとしたら?――もしかしたら。と答えるかもしれませんが、最初の問いほど肯定的ではないでしょう。それからまた、時間を用いてこの距離を測るということは、人々の認知あるいは物理学において存在するでしょうか。基礎物理学を学んだ人ならば、その可能性は大きいと考えるに違いありませんが、以下に続く内容の意味をより的確に解説するよう求められれば、この問題は思ったほど簡単ではないと気づくでしょう。端的に言うと、我々が普段道を歩くようなもので、自分がどのぐらいの距離を歩いたかを誰かに訊ねた時、相手は1「歩」について何の説明もなくあなたの「歩数」についてのみ答えたならば、その答えは実質的に無意味で、あなたは多分わけがわからないと感じることでしょう。物理表現における、時間計測の概念に関する一切の部分についても、我々は同様に困惑することになります。観測者について言えば、ある概念が実際の状況において満足されるか否かを判断する以前に、この概念が成立することはありません。よって、我々は以下のような物差しの定義が必要となります。この定義は、観測者が実験により距離の長さを確定できるような方法を提供できるものでなくてはなりません。この要求が満たされることなく、この距離が何らかの意味付けができると考えるのは、物理学的には自他共に欺くことに他なりません。
物理学は相対性原理によって長らく混乱してきました。今日でも、相対運動のアクティブ探知とパッシブ探知、無線通信とGPSおよび宇宙観測はその影響を被っています。例えばGPS測定原理の核心は時刻合わせの問題であり、単方向信号の伝達時間の間隔により距離を測ります。GPS衛星の時計と地上監視ネットワークの時計、そしてユーザの時計は相対運動の状態にあり、これらの時計の誤差は非常に小さいながら、GPSの精度には大きく影響してしまいます。この問題については、イギリスの『International Research Journal of Natural Sciences』(第4巻3号、40―44ページ、2016年9月)上に掲載の論文「The Issue about the Aberration and Red Shift of Stellar Light Propagated to the Surface of the Earth」(3)において、恒星光が地球表面に達し生じた光行差と赤方偏移は光速や空間の変化ではなく、波長変化の結果であることを証明しています。さらに、ガリレイの速度重ね合わせの原理によって光行差を解釈することや、ハッブルの発見による恒星光赤方偏移を引用してビッグバン理論の証拠とすることすることが適切ではないことも指摘しています。
もう少し考えてみて、相対運動の時計の時間に関する問題を力学まで拡張すると、時間は如何に定量化されるでしょうか。力は加速運動の結果で、加速運動の時計の時間は2次量のものです。これまでの認識では、2次量の無理数と虚数は連続し規則的な基礎の上に理論的に構築することが不可能とされ、その依存関係と関連性は導き出せないとされてきました。よって、力学的な時間値についてよくわかっていないことはおろか、無理数と虚数の物理的意味についても、基本的にはごく限られた面しか知られていません。つまり、相対運動の時計の時間を力学まで拡張したとしても、その解明はこれまでの数学では太刀打ちできない状況なのです。よって、私はまた、イギリスの『International Journal of Mathematics and Statistics Studies (IJMSS) 』(第4巻第6号、1―12ページ、2016年12月)掲載の論文「Physical Meaning of Irrational Numbers and Imaginary Numbers」(4)において、数学の面から、無理数と虚数について各量間の連続かつ規則的構造について改めて認識することが、力学的な時間値間の演算を数の統一に帰結する一助となることを指摘しました。
人類が把握している相対性の本質とは何でしょうか?私は早くから電気力学の研究における不合理な点にいくつか気づきましたが、その不合理性は相対性原理に基づいて推理された結果によるものです。ある問題についての理解が明確でないうちに、その問いの答えを探し出そうとすれば、更に別の問題がそこに覆いかぶさることが往々にしてあります。問題を追うほどにその数は増え、手詰まりに陥って抜け出せなくなることさえあります。しまいには当初の問題が何だったかすっかり忘れてしまったところへ、別の問題が追い打ちをかけてくる羽目になるのです。個人的な理解では、物理学においては、時間の本性について未だ完全には解明していない状況であるのに、相対性の原理を確信し、それに基づいて電気力学の答えを求めており、明らかに方法論の原則と矛盾しています。有名な理論であるローレンツ変換とアインシュタインの相対性理論では、相対運動を相対性原理で解釈しようとすると、実験と相容れない状況になってしまうと力説しています。理論は経験や事実に矛盾してはいけないわけで、アンバランスであることは明らかです。ローレンツ―アインシュタイン理論は、論を進めるにつれて成立しがたくなっていることにお気づきでしょうか。相対性原理の問題はガリレイ―ニュートン理論において既に存在し、それがそのまま持ち越された結果となっているのです。ゆえに、相対性原理を認識し直せば、ローレンツ―アインシュタイン理論だけでなく、ガリレイ―ニュートン理論にも問題があることに気づくのです。時間について相対性的な意味における理解力と推理力が不足しているということは、波の上で踊っているようなもので、そのまま波に流されてしまいます。ここで私の研究と思想について語るのは、電気力学と直接の関係はないように思われるかもしれませんが、このような実証に基づく研究結果は電気力学の由来と、背後に存在する理由の理解に有益であると考えています。伝統的な説明モデルには明らかな弊害、パラダイムの罠が多すぎるため、物理学における時間の本性と相対性の本質についての認知は多少性急に映るのです。私の研究結果は相対等速直線運動に限られてはいますが、これは私の最終目標ではありません。私の最終目標が成就された時には、物理学に新たな希望をもたらすかもしれません。同時に、意図しないながらも、これまで我々が長く慣れ親しんできたものから引き離すことになるのかもしれませんが、物理学は前進しなければならないのです。電気力学の答えを本気で探求すれば、その道のりは予想より遥かに長いものとなります。今の問題が解決したかと思うと、新たに次の問題にぶつかってしまいます。電気力学の答えを求めるには、まず相対性の本質について明らかにする必要がありますが、相対性の本質は時間の本性によって決定されます。相対性の本質を理解するには、まず時間の本性の面から考察を行い、電気力学まで拡張したら、今度は数学の面からも考察する必要が出てくると考えています。
物理学が今日まで発展するなか、電気力学は既に無住地帯に踏み入っていますが、人の走る速度に伴って徐々に減速することでしょう。質点モデルにおける線形時間と相対性の原理を改めて知ることは、電気力学に希望を与えるかもしれません。我々が直観的に見る時間の順序は全て有形の世界であり、見て触れることができ、シンプルで美しく、一望に収められる景色のようなものです。しかし時間間の間隔は直観できない無形の世界であり、捉えどころなく、はかり知れないほど奥深いものです。我々は皆有形無形の世界にありますが、私はこの2つの世界について真実性と正確度を以て判断できればと望んでいます。それはきっと最も素晴らしく、極めて美しい世界であることでしょう。

注:
(1) 論文名: Three Dimensional Space-Time.
ジャーナル名:International Research Journal of Natural Sciences Vol.4, No. 2, pp. 24-28, May 2016.
文章の直接リンク:http://www.eajournals.org/wp-content/uploads/Three-Dimensional-Space-Time.pdf
所属出版グループ:【イギリス】European Centre for Research, Training and Development (ECRTD)
URL:http://www.eajournals.org
影響因子:8.01(2016)
Print ISSN:  2055-6578(印刷版)
Online ISSN:2053-6586(オンライン版)
(2) 論文名:Metric in Reference System Transformation.
ジャーナル名:International Journal of Sciences Vol.5-Issue April 2016, pp. 100-109.
文章の直接リンク:http://www.ijsciences.com/pub/article/995?utm_contents=ZDNWc2FYUnZkV2RoYjBBeE1qWXVZMjl0
所属出版グループ:【アメリカ】Alkhaerグループ—OA
URL:www.ijsciences.com
影響因子:2.78(2016)
eISSN:2305-3925(オンライン版)
pISSN:2410-4477(印刷版)
(3) 論文名:The Issue about the Aberration and Red Shift of Stellar Light Propagated to the Surface of the Earth.
ジャーナル名:International Research Journal of Natural Sciences Vol.4, No.3, pp. 40-44, September 2016.
文章の直接リンク:http://www.eajournals.org/wp-content/uploads/The-Issue-New-IRJNS-196.pdf
所属出版グループ:【イギリス】European Centre for Research, Training and Development (ECRTD)
URL:http://www.eajournals.org
影響因子:8.01(2016)
Print ISSN:  2055-6578(印刷版)
Online ISSN:2053-6586(オンライン版)
(4)http://www.eajournals.org/wp-content/uploads/Physical-Meaning-of-Irrational-Numbers-and-Imaginary-Numbers.pdf
論文名:Physical Meaning of Irrational Numbers and Imaginary Numbers
ジャーナル名: International Journal of Mathematics and Statistics Studies (IJMSS) Vol4,Issue 6,pp. 1-12,December 2016
文章の直接リンク:http://www.eajournals.org/wp-content/uploads/Physical-Meaning-of-Irrational-Numbers-and-Imaginary-Numbers.pdf
所属出版グループ: 【イギリス】European Centre for Research Training and Development UK(ECRTD)
URL: http://www.eajournals.org
影響因子:8.37
Print ISSN: ISSN 2053-2229 (印刷版)
Online ISSN: ISSN 2053-2210 (オンライン版)
投票数:6 平均点:10.00

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