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(785) 自分自身のつくる静電ポテンシャルによる静電エネルギー
田部勝也
2007年01月02日(火) 17時50分

一応物理学科に入学したものの、実力もセンスも努力もなく、早々に学部卒で挫折した30代の社会人です。でも、物理が嫌いなわけではないので、この歳になって、こうして質問させていただいています。

この掲示板の『静電場のポテンシャルエネルギーについて』スレッドのほうで議論する過程で、当初の疑問とは異なる新たな問題提起がされましたので、改めて新規スレッドを立たせていただきました。

ここでの問題提起は、「“自分自身のつくる静電ポテンシャルによる静電エネルギー”は、物理的に意味のある量なのか?」というものです。

一般に、電荷の持つ静電エネルギーは、[電荷の電気量]×[その電荷の存在する場所の静電ポテンシャル(電位)]で表す事ができます。
ところで、普通、上の式で[その電荷の存在する場所の静電ポテンシャル]を考える時には、その電荷自身がつくり出す静電ポテンシャルを含める事はあまりないかと思います。
例えば、電場も何もない空間の原点に電荷が1個だけ存在する場合、この系の静電エネルギーUは(この電荷が無限遠にある場合をエネルギー=0の基準として)U=0と考える事が多いでしょう。
しかし、この電荷(電気量qとしましょう)は周囲に静電ポテンシャルをつくり出しているわけで、自分自身がつくり出した静電ポテンシャルφに対し、[電荷の電気量]×[その電荷の存在する場所の静電ポテンシャル]=qφで与えられる静電エネルギーを持っている──と主張する事はできるはずですし、論理的にも不自然な考えではありません(と、私は考えます)。
また、「系の静電エネルギーは電場Eが持っていて、そのエネルギー密度は(ε0/2)・E2である」という考え方だと、空間に電荷が1つだけ存在するという場合でも、その電荷のつくる電場がエネルギーを持つ事になります。このエネルギーを「自分自身がつくる電場による静電エネルギー」と呼ぶ事にすると、これは一般に上で考えた「自分自身のつくる静電ポテンシャルによる静電エネルギー」に等しくなるようです。

典B様は(私が誤解していなければ)、その考えをさらに推し進めて、「この“自分自身のつくる静電ポテンシャルによる静電エネルギー”または“自分自身がつくる電場による静電エネルギー”は物理的に意味のある量であり、実際の物理現象を考える上で無視する事はできない」と主張していらっしゃいます。

この主張に対し、私は、「“自分自身のつくる静電ポテンシャルによる静電エネルギー”または“自分自身がつくる電場による静電エネルギー”は物理的に意味のある量ではないので、導入してもしなくても実際の物理現象を考える上では影響しない」と考えていて、意見が対立しています。

そこで、このスレッドでは、以下の2点について議論できればと考えています。
【1】「自分自身のつくる静電ポテンシャルによる静電エネルギー」または「自分自身がつくる電場による静電エネルギー」は、物理的に意味のあるエネルギーなのか否か。
【2】一般に、「それは物理的に意味のない量である」という事を示す事は可能なのか。
──もちろん、誰かがすでにこれらの答えを知っていて、私にも分かるくらい明快に教えていただき、議論する必要がなくなるという事になれば一番嬉しいのは言うまでもありません。



(786)  (Re:785)
Re:自分自身のつくる静電ポテンシャルによる静電エネルギー
田部勝也
2007年01月02日(火) 17時59分

さて、まず、私が、「“自分自身のつくる静電ポテンシャルによる静電エネルギー”は物理的に意味のある量ではないので、導入してもしなくても実際の物理現象を考える上では影響しない」と考える根拠です。とりあえず、今の段階で思いつくものを列挙してみます。

【1】もし、「自分自身のつくる静電ポテンシャルによる静電エネルギー」が物理的に意味のある量だとしたら、「自分自身のつくる静電ポテンシャルによる静電エネルギー」を別の形のエネルギーに変換できるはずです。例えば、1個の陽子(水素原子核)が電荷を失って、およそ10[MeV]ものエネルギーを放出し、同質量で電荷のない粒子に変わる──といった現象が観察されてもおかしくないはずです。しかし、これは明らかに電気量の保存則に反しています。

【2】もし、「自分自身のつくる静電ポテンシャルによる静電エネルギー」が物理的に意味のある量だとしたら、電荷を持つ粒子の電荷分布(点電荷なのか、球殻表面に一様に分布しているのか、球体内に一様に分布しているのか、水素原子の基底状態での電子分布のように指数関数的な電荷密度を持っているのか、……など)は、その粒子の性質を決める大変重要なパラメータとなるはずです。しかし、恥ずかしながら、そういうデータは見た事がありません(少なくとも理科年表には掲載されていないようです)。
また、電場を加えるなどして粒子内の電荷分布を変化させ、「自分自身のつくる静電ポテンシャルによる静電エネルギー」の異なる、同質量・同電気量・同半径を持つ別粒子に変える──といった現象が観察されてもおかしくないはずですが、恥ずかしながら、そういった現象も聞いた事がありません。

【3】「系の静電エネルギーは電場Eが持ち、そのエネルギー密度は(ε0/2)・E2である」という考え方で、電荷の存在する系の静電エネルギーを計算してやると、確かに、「自分自身のつくる静電ポテンシャルによる静電エネルギー」の項(より正しく言えば、「各電荷が単独で存在するとした場合の静電エネルギー」の項)が出てきますが、この項は現実の物理現象には関与し得ない(つまり、あってもなくても同じ)もので、「エネルギー=0の基準の違いに起因する定数項」として扱うのがもっとも自然であると、いくつかの問題を解いてみて感じました(これは印象論なので根拠としてはあまり相応しくないかも知れませんが、電荷の保存則に照らしてみても、妥当な印象だとは思っています)。

====================
私は、「科学」についてはまったく自信がありませんが、「ニセ科学」問題については長い間取り組んできたので、人並み以上に通じているつもりです。
そこで、「素人は、自説に反論されると、自分の全人格を否定されたと受け取り、ますます何が何でも自説を守りたがろうとする傾向がある」「素人は、自説が反論されると、(それが論破できそうにないと感じると)その反論は無視し、その反論と異なる論点の根拠を持ち出し、それが反論を受けると、また別の論点の根拠を持ち出し、……と、これを(相手が音を上げるまで)永久に繰り返す傾向がある」といった事を学びました。
──ですので、自分自身が素人にありがちなそういった陥穽に嵌らないためにも、自説を擁護する論拠を示すだけでなく、「これが示されれば確かに自説は成り立たなくなる」という反証の条件を掲げておきます。

【条件1】「自分自身のつくる静電ポテンシャルによる静電エネルギー」が別の形のエネルギーに変換されるような物理現象(例えば、上記【1】【2】に書いたような現象)を提示する。
【条件2】計算上、[lima→0(1/a)]や[∫(全空間)1dv]といった量(物理現象に関わるパラメータには依存せずに無限大となる量)を、定数として扱ってはならない事を示す。

今の段階で思いつくのは以上です。議論を進めていくうちに、「この前提が崩されても自説は成り立たなくなるな」という条件がさらに出てくるかも知れません。その時は、その都度表明したいと思いますし、気づかれた方が指摘して下されば幸いです。



(787)  (Re:786)
Re:自分自身のつくる静電ポテンシャルによる静電エネルギー
田部勝也
2007年01月02日(火) 18時14分

この問題は、これまで、『静電場のポテンシャルエネルギーについて』スレッドのほうで議論してきましたが、そのスレッド内でまだ未解決の問題がいくつかありますので、それをここにまとめておきます。漏れがありましたら、ご指摘下さい。

なお、問題提起の文章は正確な引用ではなく、誠に勝手ながら私が要約し簡略化して提示した事をお断りしておきます。私の誤読による不本意な要約があれば、ご指摘下さい。

>【典B様・#762、#767、#770での問題提起】
>帯電球に手を触れた時に起きる(であろう)一連の現象は、「電荷自身がつくる電場による静電エネルギー」に由来するものではないか。
これは明らかに間違いだと思います。典B様は#777で「私は人体にはもともと電荷がないと考えました」と答えていますが、もし誘電体が電荷を持っていなければ、誘電分極は起きず、結果として放電現象も感電も起き得ないのではないでしょうか。「電荷が存在しない」状態と「電荷は存在するが互いに打ち消し合っている」状態とは区別して考えるべきかと思います。
この問題の場合、手の中の正電荷がつくる電場をE、負電荷がつくる電場をEとすると、通常の状態の静電エネルギー(ε0/2)・∫(EE)2dvは0になりますが、誘電分極を起こすと、この式の2(EE)の項が効いてきて、一般に系の静電エネルギーは減ります。しかし、E2の項やE2の項、つまり「電荷自身がつくる電場による静電エネルギー」の項には変化はありません。なお、余談ですが、誘電分極によって減った分のエネルギーは、分極の際の電荷移動によるジュール熱(放電があればそのエネルギー)に消費されたと考えるのが自然かと、私は思っています。
ちなみに、「帯電球自身がつくる電場E0による静電エネルギー」の項(E02の項)も、この一連の現象で変化しません。変化するのは、2(E0E)の項や2(E0E)の項など、互いの電場の相互作用を表す項に由来する成分だけです(少なくとも私の計算では)。
──以上から、ここで提起された現象は、「“自分自身のつくる静電ポテンシャルによる静電エネルギー”が別の形のエネルギーに変換されるような物理現象」には当たらないと、私は考えます。

>【典B様・#770、#784での問題提起】
>空間中に、2つの帯電球A,Bがある。Aの電荷はQ、Bの電荷は−Qであり、半径はどちらもaである。また、AとBの中心間の距離はrであり、互いに静止しているとする。
>AとBを、抵抗値がRであるような導線で接続したときに発生するジュール熱は、自分自身がつくる静電ポテンシャルによる静電エネルギーが変換されたものではないか。
これも明らかに間違いだと思います。これは本質的には私が#764で提示した【問1】と同じ問題だと考えます。そこでは抵抗はありませんでしたが、もし抵抗があれば、【問1】の場合で帯電球qが得た運動エネルギーが、この場合ではジュール熱に変換されるだけなのではないでしょうか。
──以上から、ここで提起された現象も、「“自分自身のつくる静電ポテンシャルによる静電エネルギー”が別の形のエネルギーに変換されるような物理現象」には当たらないと、私は考えます。

実は、後者の問題については、すでに私自身、より詳しく厳密な(?)計算をしていました。
#752で、マクスウェルの方程式から、電場の持つエネルギー密度を求めた事を書いていますが、この過程で、磁場のない場合(かつ、電荷の運動によって電磁波が放射されないとした場合)、
 −(∂/∂t)[(ε0/2)・E2] = Ej (jは電流密度)
という式が導かれます。両辺を考える空間全体で積分してやると、この問題の場合、右辺は明らかに抵抗で消費されるジュール熱I2Rを表し、左辺は(1/4πε0)・(Q2/r)となります(私の計算が正しければ)。したがって、この点からも、典B様が#770で指摘した「電荷自身がつくる電場による静電エネルギー」の項(KQ2/a)は、この現象には寄与していないと言えるのではないかと、私は考えています。



(792)  (Re:787)
Re:自分自身のつくる静電ポテンシャルによる静電エネルギー
田部勝也
2007年01月03日(水) 19時41分

以下は、『静電場のポテンシャルエネルギーについて』スレッドの#789で、典B様が提案された疑問への、私なりの回答です。

>最初に持っていた静電エネルギーの一部とは言え、運動エネルギーに変わるわけですから、最初に持っていた静電エネルギーは意味のあるものだと考え直しました。

運動エネルギーに変わるのは、最初に持っていた静電エネルギーのうち、「自分自身の電場のよる静電エネルギー」ではない部分ですから、この帯電球分割モデルにおいて、「自分自身の電場のよる静電エネルギー」が何の寄与もしていないという結論は変わりないと思うのですけど……。

確かに、最初に持っていた静電エネルギーは意味のあるものだと思いますが、その中で「自分自身の電場のよる静電エネルギー」の部分だけは、意味のある働きをしているようには思えません。

> たとえば、空間に帯電した導体球が1個だけある状態のエネルギーをゼロだと決めると、何もない空間のエネルギー分布(あるいはエネルギー密度分布)はどうなるのですか?

−∫{(ε0/2)・E2}dv になると思います。

例えば、地上h[m]の床面を基準にした場合、床面にある物体の重力による位置エネルギーは0[J]ですが、地表にある物体の重力による位置エネルギーは−mgh[J]になるでしょう。
この場合も、似たような事だと思います。
ただ、残念ながら、電荷の場合、電気量の保存則があるため、「空間に帯電した導体球が1個だけある状態」を「電荷が何もない状態」に変化させる手段がないので、「空間に帯電した導体球が1個だけある状態」のエネルギーがどうであろうと、それを取り出す事ができません(ダムにいくら水が溜まっていても、水面と異なる高さの場所がどこにもなければ、重力による位置エネルギーが取り出せないのと同じ事です)。
これが、私が、「自分自身の電場のよる静電エネルギー」は物理的に意味のあるエネルギーではないと考える最大の根拠(#786の【1】)なわけです。



(790)  (Re:785)
Re:自分自身のつくる静電ポテンシャルによる静電エネルギー
IRON28
2007年01月03日(水) 14時02分

田部さん
私はこのツリーの”前身のツリー”を丹念に追っているわけでもなく、式の
フォローもやっていませんが、下記の問題は割と簡単なことではないかと思い
ます。
>そこで、このスレッドでは、以下の2点について議論できればと考えています。
>【1】「自分自身のつくる静電ポテンシャルによる静電エネルギー」または「自分自身がつくる電場による静電エネルギー」は、物理的に意味のあるエネルギーなのか否か。>
>【2】一般に、「それは物理的に意味のない量である」という事を示す事は可能なのか。

 まず「自分自身の作る静電ポテンシャルによる静電エネルギー」という長い
表現はやめて、ここでは「自己エネルギー」と呼ぶことにします。その自己
エネルギーの解釈ですが、これは「帯電に要する仕事」を考慮するのかしない
のかという「選択の問題」ではないでしょうか。

 N個の帯電可能な物体が互いに無限に離れた状態において、それぞれ既に一
定の電荷を持っていたと想定します。そして、それらを互いに近づけて、ある
分布状態にします。これを「電荷系A」と呼びます。このAを作るに要する仕事
の単位体積あたりの量が(ε0/2)E^2と表現されるものではないですか? だと
すれば、この中には自己エネルギーは含まれません。仮に計算上の約束で出て
くるにしても無意味なものでしょうね。ここでいう「計算上の約束」とは「同
一電荷も数えることにして静電エネルギーの和をとる」という約束です。逆に
いえば「同一電荷は数えない」と約束で計算すれば初めから自己エネルギーは
除外されたことになります。

 一方、N個の帯電可能物体が初めはなんら帯電していなかったら、電荷系Aを
作るには(ε0/2)E^2の全空間積分値に相当する仕事に加え、帯電に要する仕事
も必要なはずで、それらはそれぞれの帯電体の自己エネルギーの総和になって
いるのではないでしょうか。言い換えれば1個の帯電体の自己エネルギーは
その物体を帯電させるに必要な仕事に等しいのではないでしょうか。この場合
の自己エネルギー、すなわちゼロ帯電を基準にした自己エネルギーは他の形態
のエネルギーに転換できるものでありましょう。だから、この場合の自己エネ
ルギーは意味のあるものとして取り扱わなければならないはずです。

 ところで「点電荷」ですが、これは初めから帯電していてその電荷が全く変
わらないものであってサイズも内部構造も考えないもの、いわば剛体電荷とし
て扱われているもののモデルだと思います。剛体電荷とみなした以上はその自
己エネルギーは他の形態のエネルギーに転換されることはないものとみなすこ
とだと思います。だから点電荷系の静電エネルギーに自己エネルギーを含めて
も無意味でしょうね。
 



(794)  (Re:790)
Re:自分自身のつくる静電ポテンシャルによる静電エネルギー
田部勝也
2007年01月03日(水) 19時52分

IRON28様。
毎度、私のどうしようもない国語力とディベート力に的確なフォローをいただき、感謝しています。

>その自己エネルギーの解釈ですが、これは「帯電に要する仕事」を考慮するのかしないのかという「選択の問題」ではないでしょうか。(以下、引用文の改行位置は、勝手に変えさせて頂いています)

実は、「系の静電エネルギーは電場が持つ」という考え方では、そう単純にはいかないので、議論が紛糾しているのです。

例えば、IRON28様が提案した次の例ですが……。
>N個の帯電可能な物体が互いに無限に離れた状態において、それぞれ既に一定の電荷を持っていたと想定します。そして、それらを互いに近づけて、ある分布状態にします。これを「電荷系A」と呼びます。このAを作るに要する仕事の単位体積あたりの量が(ε0/2)E^2と表現されるものではないですか?
──ここが問題のややこしい所なのですが、(ε0E2/2)を用いて算出した場合は、そうはならないのです。結論だけ書けば、
●N個の帯電した物体が互いに無限に離れた状態(以後「初期状態」と呼びます)での、
・系の電場 → E0
・系のエネルギー密度 → e0=ε0E02/2
●電荷系Aでの、
・系の電場 → EA
・系のエネルギー密度 → eA=ε0EA2/2
と書く事にすると、e0こそ、まさに「自己エネルギー」に対応する量なのですが、
 eA = [初期状態から電荷系Aを作るに要する仕事の単位体積あたりの量] + e0
となるのです。つまり、電荷系Aのエネルギー密度eAの中に、「帯電に要する仕事」だけでなく、必然的に否応なく「自己エネルギー」が含まれてしまうのです。これは一般に、どんな初期状態と電荷系Aを選ぶかに関わらず言える事のようです。

もちろん、「静電エネルギーは電荷が持つ」という考え方で「帯電に要する仕事」を計算する方法は、どの教科書でも説明されています。当然、そこでは「系のエネルギー」=「帯電に要する仕事」になり、「自己エネルギー」など出てきません。初期状態(各微小電荷が無限に離れた状態)を「エネルギー=0の状態」の基準に選んでいるからです。
ところが、「静電エネルギーは電場が持つ」という考え方では、初期状態(各帯電体が無限に離れた状態)でも系に電場は存在し、この電場のエネルギー密度が無視できない(ように思われる)ために、議論が紛糾していると、私は考えています。

私自身は、初期状態での電場のエネルギー密度(に由来する静電エネルギー)は、「“エネルギー=0の基準の違いに起因する定数項”として扱うべきである」と主張しています。一方、典B様は、(私が誤解していなければ)「このエネルギーは物理的に意味のある量である」と主張していて、意見が対立しているわけです。

====================
>一方、N個の帯電可能物体が初めはなんら帯電していなかったら、(後略)

おっしゃりたい事はなんとなく分かるのですが、私は「電気量の保存則」を重視する立場です。電荷のない系から帯電体を(絶対値の等しい正負の電荷対以外で)つくれるのだとしたら、それは、#786で示した反証条件1に該当しますので、私の主張は間違いとなります。
なお、この場合、私の考えでは、電荷系Aをつくる際に必要な仕事は、(ε0E2/2)の全空間積分値に相当する仕事のみであり、これが帯電に要する仕事に等しくなるはずです。#786の【1】で示した陽子の「自己エネルギー」(約10[MeV])は、この考えに基づいて算出しています。

====================
>だから点電荷系の静電エネルギーに自己エネルギーを含めても無意味でしょうね。

私はそう考えています。
ただ、一方で、点電荷は、1個だけでも周囲に電場をつくる以上、この電場による「自己エネルギー」の存在は無視できないと主張する典B様の見解も、まったく論外の的外れな暴論とは言えないとも感じています(だからこそ、ここまで長々と議論を続けているわけで……)。
空想の話ですが、質量が実はエネルギーの一形態だったという事が明らかになったように、実は「電荷もエネルギーの一形態であって、電場Eをつくる電荷の持つエネルギーは(ε0E2/2)の全空間積分値に相当する量である」なんて事が、今後明らかになったとしたら、とても夢のある話だとは思います(少なくともエネルギー問題は一挙解決ですね(笑))。実現可能性はともかく、SFのアイデアとしては、かなり有望かも知れません。



(796)  (Re:794)
Re:自分自身のつくる静電ポテンシャルによる静電エネルギー
iRON28
2007年01月03日(水) 20時57分

田部さん
>つまり、電荷系Aのエネルギー密度eAの中に、「帯電に要する仕
>事」だけでなく、必然的に否応なく「自己エネルギー」が含まれてしまうの
>です。
ここのケースは既に帯電の完了した電荷の集合体を考えているので帯電はもは
や起こりません。それに対して出てきた自己エネルギーは「もう完了した仕
事」の分として後で除けばよいのではないでしょうか。そんなエネルギーが
出てしまうというのは単に計算約束の問題ではないでしょうかと申し上げて
いるのですが。
>>一方、N個の帯電可能物体が初めはなんら帯電していなかったら、(後略)
>
>おっしゃりたい事はなんとなく分かるのですが、私は「電気量の保存則」を重視する立>>場です。電荷のない系から帯電体を(絶対値の等しい正負の電荷対以外で)つくれるの>>だとしたら、
話は古典論に留めておいていいはずですよね。だとしたら、ゼロ電荷からスタ
ートする場合は外部電場発生源、つまり電源を使うケースだと思えばよいでは
ないですか?。私はそう考えています。電源でもないと帯電させることはで
きないわけですから。
>#786の【1】で示した陽子の「自己エネルギー」(約10[MeV])は、この考え
>に基づいて算出しています。
これは陽子を帯電させるに要する仕事と目されるものでしょうね。その仕事は
天地創造の時に終わっているので、今日、陽子を内部構造を考えない荷電粒子
として扱う場合、たとえば原子や分子の化学現象を考える場合には含めなくて
よいエネルギーです。
>ただ、一方で、点電荷は、1個だけでも周囲に電場をつくる以上、この電場による「自己>エネルギー」の存在は無視できない
「点電荷」を想定すること自体、帯電に要する仕事は無視すると決めたことに
なっていると思いますが。つまり、再び言いますと自己エネルギーというものは
帯電に要する仕事ではないかと思うのです。



(799)  (Re:796)
Re:自分自身のつくる静電ポテンシャルによる静電エネルギー
IRON28
2007年01月04日(木) 21時54分

自己レスです。自己エネルギーと帯電に要する仕事について補足致します。

真空中にポツンと一個の帯電可能物体Aがあり、初めは全く電荷を持っていな
いとします。これに何らかの手段を実施して電荷を持たせたとします。すると
自己エネルギーと呼んでいるエネギーUがAの周りの空間に蓄えられることに
なります。エネルギー保存則からこのエネルギーは「何らかの手段」を実施し
た時に、ある仕事Wがなされて生じたと解釈せざるを得ません。そして、Aは
その仕事によって帯電したわけでから、U=Wとならなければなりません。よ
って「自己エネルギーは帯電に要する仕事である」という解釈を思いついたわ
けです。

 次にもっと一般的なケースを扱います。無限に離れた複数の物体があって最
初からそれぞれある値の電荷(初期電荷)を持っていたとします。これらを
有限距離内に近づけてある配置にさせる際、それぞれの電荷が変わるとします
(相互作用と外部電場の働きにより)。そして、この系における各物体の最終
電荷はそれぞれいくらになるか、という問題を考えてみます。
 このような問題は自己エネルギーを取り入れた形の全エネルギーを扱わない
と解けないはずですね。電荷可変だと自己エネルギーも変わるのでその分の仕
事も考慮しないといけないからです。具体的には、電荷に関する変分原理によ
って自己無撞着解を求める問題になるはずです。まあ、計算方法は別にして、
とにかく電荷可変の系を取り扱う時は自己エネルギーを省いてはいけないはず
です。典Bさんが言われるのはたぶんこういう系なのでしょう。それに対して
電荷が不変な系、つまり”剛体電荷”の系を扱う時は自己エネルギーは省いて
よいもので、これが田部さんが主張されるケースだと思います。



(804)  (Re:799)
Re:自分自身のつくる静電ポテンシャルによる静電エネルギー
田部勝也
2007年01月05日(金) 21時01分

iRON28様、IRON28様(同一人物でしょうか)。

>ここのケースは既に帯電の完了した電荷の集合体を考えているので帯電はもはや起こりません。それに対して出てきた自己エネルギーは「もう完了した仕事」の分として後で除けばよいのではないでしょうか。そんなエネルギーが出てしまうというのは単に計算約束の問題ではないでしょうかと申し上げているのですが。(#796・iRON28様)

ここで「帯電に要する仕事」と書いたのは、「初期状態から電荷系Aの状態まで、帯電体を集めるのに要する仕事」をイメージしていました。紛らわしい表現をして申し訳ありません。

さて、IRON28様が#790で述べている、
>ここでいう「計算上の約束」とは「同一電荷も数えることにして静電エネルギーの和をとる」という約束です。逆にいえば「同一電荷は数えない」と約束で計算すれば初めから自己エネルギーは除外されたことになります。
──という点については、(私がIRON28様の意図を誤解している可能性もありますが、おそらくは)私も同意見です。典B様もこの点は同意されるのではないかと思います。
ただ、「“同一電荷は数えない”と約束」する事で、説明できなくなるような物理現象がもしあるのならば、どのような場合でも安易に「“同一電荷は数えない”と約束」する事には慎重になるべきですよね。典B様と私の意見が対立しているのは、まさにその点なわけです。
私は、「“同一電荷は数えない”と約束」すると説明できなくなるような物理現象などないから、常にそう約束しても構わないと主張しています。一方、典B様は、「“同一電荷は数えない”と約束」すると説明できなくなるような物理現象があるに違いないと考えているようです。『静電場のポテンシャルエネルギーについて』スレッドの#751では、甘泉法師様も「同一電荷も数えるべきでは?」という主旨の発言をされていたと思います。

iRON28様・IRON28様は、すでに、どのような場合に「“同一電荷は数えない”と約束」すると説明ができなくなり、どのような場合なら「“同一電荷は数えない”と約束」しても構わないか──という点については、すでに結論がでていらっしゃるように、私は感じています。
ただ、私は、iRON28様・IRON28様がおっしゃるような「“同一電荷は数えない”と約束」すると説明ができなくなる現象(の条件)が、現実に起きうるとは、ずっと考えられなかったわけです。iRON28様・IRON28様が具体的な例を出されるまでは……。

====================
>電荷可変だと自己エネルギーも変わるのでその分の仕事も考慮しないといけないからです。(#799・IRON28様)

おっしゃる通りだと思います。で、私は、現実にはそのような物理現象は存在しないから、結局、「自己エネルギー」の分の仕事を導入する必要はないだろうと主張しているわけです。それに対し、典B様は、電荷可変で「自己エネルギー」の分の仕事も考慮しないといけない(であろう)物理現象を次々と提案されて、私が反論するという流れできていたわけですね。

──ただし、次のコメントで、私の考えは大きく変わりました。

====================
>ゼロ電荷からスタートする場合は外部電場発生源、つまり電源を使うケースだと思えばよいではないですか?(#796・iRON28様)

この点は、私にとっては盲点でした。この点については、長くなりそうですので、別にコメントしたいと思います。



(805)  (Re:804)
Re:自分自身のつくる静電ポテンシャルによる静電エネルギー
田部勝也
2007年01月05日(金) 21時17分

IRON28様・iRON28様。

>ゼロ電荷からスタートする場合は外部電場発生源、つまり電源を使うケースだと思えばよいではないですか?(#796)

これは、正直に言って、私にとって盲点でした。自説の擁護に躍起になるあまり(または「電気量の保存則」にこだわるあまり)、視野狭窄を起こしていたとしか弁解のしようがありません。

ゼロ電荷からスタートして、ある物体を帯電させる事を考えるとき、帯電に要する仕事を計算する際には、普通【図1】のように考えるかと思います。

ところで、キルヒホッフの法則などから私がイメージする「電源」というものは、すでに存在している電荷にエネルギーを与えて再び回路に送り出す装置という印象でした。そうでなければ、絶対値の等しい正負の電荷対を新たにつくり出して系に送り出す装置という印象です(私は、それほど強く「電気量の保存則」という固定概念に縛られていたと言うべきでしょうか)。
──ですので、【図2】のような場合を考えはしましたが、本質的に【図1】と同じものとして、それ以上深くは考察しませんでした。【図2】は、【図1】において、微小電荷を運ぶ仕事は誰が(何が)するのかを明確に指定しただけ──としか考えなかったわけです。

しかし、普段、現実の問題を実際に計算する際には、そこまでプリミティブに考える事はしませんよね。
【図2】で言えば、「静電エネルギーは電荷が持つ」という考え方で計算する場合は、確かに【図1】のように考えて、電源のする仕事を求める他ないでしょう。しかし一方、これを「静電エネルギーは電場が持つ」という考え方で計算する際には、
■帯電前
・系内に存在している電荷の総電気量=0(いかなる意味でも「微小電荷」は存在していない)
・系の電場E0=0
・系の静電エネルギーのエネルギー密度eE0=0
■帯電後
・系内に存在している電荷の総電気量=Q
・系の電場EQ=(1/4πε0)・(Q/r2)・r0 (r≧a)、 EQ=0 (r<a)
・系の静電エネルギーのエネルギー密度eEQ=(ε0EQ2/2)
  (ただし、aは導体球の半径、r0r方向への単位ベクトル)
であり、帯電前後で変化した分のエネルギーが、「電源」のした仕事=帯電球の「自己エネルギー」であると素朴に考えれば良い──というわけですね。

すると、【図3】のような場合も同様に、放電前は電場が存在するので、「自分自身の電場による静電エネルギー(自己エネルギー)」も存在するが、放電後は系に電場は(あらゆる意味で)存在しなくなるので、いわゆる「自己エネルギー」も0になる──減った分のエネルギーが抵抗で消費されるジュール熱である──という解釈で十分なわけですよね。

そういう考え方をすれば、確かに、これは#786で私が提示した反証条件1に抵触するものです。

これが、#799でIRON28様が言われた「電荷可変だと自己エネルギーも変わるのでその分の仕事も考慮しないといけないからです」「まあ、計算方法は別にして、とにかく電荷可変の系を取り扱う時は自己エネルギーを省いてはいけないはずです」というケースの一例だとすれば、典B様をはじめ、皆様のおっしゃってきた事は、なんとなく納得できそうです。

====================
ただ、プリミティブな事を言えば、「電気量の保存則」は(観測事実として否定されるまでは)厳密に成立しているとするべきで、その上で、「系の静電エネルギーは電場は持っている」という考え方で計算した際に生じる「電荷が自分自身で単独につくる電場による静電エネルギー」の項は、「系のエネルギー=0の基準を定める項」(iRON28様流に言えば「その仕事は天地創造の時に終わっているので、現在の現象を考える場合には含めなくてよいエネルギー」)として扱うべきである──という解釈のほうが、私としてはすっきりするなぁ……というのが、正直な気持ちです。
その上で、場合に応じて臨機応変に、単純化した計算法や考え方を使い分けていけば良い──というのが、今現在の時点での私の結論です。



(808)  (Re:805)
Re:自分自身のつくる静電ポテンシャルによる静電エネルギー
IRON28
2007年01月05日(金) 23時58分

>ただ、プリミティブな事を言えば、「電気量の保存則」は(観測事実として
>否定されるまでは)厳密に成立しているとするべきで、
このツリーも前身のツリーも古典電磁気学の範囲、つまり19世紀末までの
知識内にとどめていいはずです。だから、現在の素粒子物理学のことを考える
必要はないはずです(陽子の自己エネルギーも考えなくてよい)。となると我
々が部屋で行う古典的実験レベルのことを考えればよいわけでして、結局、電
気量の保存則は帯電体(あるいは誘電分極体)と電源との系のみで考えればい
いわけです。



(838)  (Re:808)
Re:自分自身のつくる静電ポテンシャルによる静電エネルギー
田部勝也
2007年01月09日(火) 21時47分

IRON28様。

まとめて、こちらへ返信します(引用の改行位置は勝手に変えさせて頂きました)。

すでに#823などで述べているように、私がそもそものはじめから勘違いしていたために、IRON28様に無駄な議論をさせてしまう事になっていました。本当に申し訳ありませんでした。
私が理解した中で、これまでのIRON28様との議論に関連の深い事項をまとめると、おおむね以下のようになるかと思います。

【1】有限の大きさを持つ帯電体を考える場合、この帯電体が系に単独で存在するとした場合の系の静電エネルギーは、「静電エネルギーは電荷が持つ」と考えても、「静電エネルギーは電場が持つ」と考えても同じ値になる。
【2】その値は、系に電荷がない状態(微小電荷が互いに無限に離れている状態)を基準に、帯電体を帯電させるのに要するエネルギーに等しい。
【3】これらは「自己エネルギー」と呼ぶのに相応しい量であり、様々な物理現象を理解するのに大変有用な物理量である。
──以上は、どこにも矛盾や疑問が無いにも関わらず、私がそもそもの【1】を勘違いしていたために、議論が噛み合わないまま、IRON28様に大変ご迷惑をおかけし、また不愉快な想いをさせてしまったわけです。

【4】点電荷を考える場合、この点電荷が系に単独で存在するとした場合の系の静電エネルギーは、「静電エネルギーは電荷が持つ」と考えるか、「静電エネルギーは電場が持つ」と考えるかによって、異なる値になる。
【5】その差は、系に電荷がない状態(微小電荷が互いに無限に離れている状態)を基準に、質点を帯電させる(点電荷をつくる)のに要するエネルギーに等しい。当然、この値は発散する。
【6】これも「自己エネルギー」と呼ぶのに相応しい量であると考えられるが、実際の物理現象には寄与していないように思われる。
──以上が、本来私が最初に明確に示さなければならなかった疑問点です。IRON28様はすでに、#796で
>「点電荷」を想定すること自体、帯電に要する仕事は無視すると決めたことになっていると思いますが。つまり、再び言いますと自己エネルギーというものは帯電に要する仕事ではないかと思うのです。
と指摘していらっしゃいましたので、この時点で、本当は議論は終わっているはずだったのですね。重ね重ね、申し訳ありませんでした。

====================
>【#806】
>電荷ゼロからスタートする「物理現象」としてはコンデンサーという身近なものがあるではありませんか(誘電分極体ではありますが)。(後略)

おっしゃる通りでした。コンデンサーは、まさに上記【1】〜【3】に当てはまる最も良い例だと思います。

====================
>【#807】
>電気の問題だけ扱っていると自己エネルギーを現実問題として意識しなければならないケースはちょっと思いつかないかもしれませんが、磁気になると大いにちがいます。

電気の問題だけを扱っていても、自己エネルギーを意識すべき問題はたくさんあるような気がします。「自己エネルギー」という言葉を使わないだけですね。つまりは「帯電に要するエネルギー」なのですから、これは間違いなく電気における最も重要な問題のひとつだと思います。

また、すでにお気づきかと思いますが、磁気の場合は、点電荷に対応する点磁荷が存在しないという事情もあるかと思います。
有限の大きさを持つ帯電可能な物体をある電気量まで帯電させるのに必要なエネルギーに対応するのが、磁化工程における着磁に必要なエネルギーになるのではないでしょうか(私の勝手な想像ですが)。
一方、「静電エネルギーは電場が持つ」と考えると、質点をある電気量まで帯電させる(つまり点電荷をつくる)のに必要なエネルギーと解釈せざるを得ない項が表れます。しかし、「磁気エネルギーは磁場が持つ」と考えても「磁気エネルギーは磁性体が持つ」と考えても、そもそも点磁荷が存在しない(divB=0である)ので、磁気ではそのような困難は起きないのだと考えます。

====================
>【#808】
>このツリーも前身のツリーも古典電磁気学の範囲、つまり19世紀末までの知識内にとどめていいはずです。だから、現在の素粒子物理学のことを考える必要はないはずです(陽子の自己エネルギーも考えなくてよい)。となると我々が部屋で行う古典的実験レベルのことを考えればよいわけでして、結局、電気量の保存則は帯電体(あるいは誘電分極体)と電源との系のみで考えればいいわけです。

『ランダウ=リフシッツ理論物理学教程・場の古典論(原書第6版)』(ランダウ=リフシッツ著、東京図書)を読む限り、この発言はまさに正鵠を射ていたわけですね(#834参照)。
私も古典電磁気学の範囲内だけで一貫して考えてきて(そもそも現在の素粒子物理学の事など何も知りませんし)、その範囲内の考え方だけで解決される問題だと思い込んでいたわけですけど、点電荷を考える限りにおいては、必ずしもそうではなかった……と。



(839)  (Re:838)
Re:自分自身のつくる静電ポテンシャルによる静電エネルギー
IRON28
2007年01月09日(火) 23時22分

>また、すでにお気づきかと思いますが、磁気の場合は、点電荷に対応する点
>磁荷が存在しないという事情もあるかと思います。
ええ、そのこと百も承知していますから「磁荷」それ自体のことには一切触れ
ていません。あくまでも「磁石」(磁気分極体)です。

>有限の大きさを持つ帯電可能な物体をある電気量まで帯電させるのに必要な
>エネルギーに対応するのが、磁化工程における着磁に必要なエネルギーになる
>のではないでしょうか(私の勝手な想像ですが)。
「帯電可能な物体をある電気量まで帯電させる」のではなく「電気分極、すな
わち単位体積あたりの磁気モーメントをあるレベルまで高める」とでもいうべ
きでしょうね。磁石の着磁になぞらえるならば。



(852)  (Re:839)
Re:自分自身のつくる静電ポテンシャルによる静電エネルギー
田部勝也
2007年01月19日(金) 19時45分

IRON28様。
プライベートでばたばたしていて、返信が遅れました。

>「帯電可能な物体をある電気量まで帯電させる」のではなく「電気分極、すな
>わち単位体積あたりの磁気モーメントをあるレベルまで高める」とでもいうべ
>きでしょうね。磁石の着磁になぞらえるならば。

ああ、なるほど、そうですね。センスのない人間の机上だけの勉強(しかも独学)でしかないと、なかなか、そういう関係性とかだけでなく、量的感覚とか、正しい言葉遣いとか、そういった正確な科学的センスは掴めないものですね。



(806)  (Re:804)
Re:自分自身のつくる静電ポテンシャルによる静電エネルギー
IRON28
2007年01月05日(金) 22時31分

田部さん
>iRON28様・IRON28様
同一人物です。
>私は、現実にはそのような物理現象は存在しないから、結局、「自己エネルギ
>ー」の分の仕事を導入する必要はないだろうと主張しているわけです。
電荷ゼロからスタートする「物理現象」としてはコンデンサーという身近なも
のがあるではありませんか(誘電分極体ではありますが)。いうまでもなく、
コンデンサーに蓄えられるエネルギーは電源が供給しているわけです。そして
このエネルギーはコンデンサー全体の自己エネルギーというべきものです(
単一電荷のものではありませんが)。
 とはいえ、教科書にあるコンデンサーの説明で自己エネルギーを意識する
ことはないと思います。これは全体に一様な電場がかかり、全体が一様に分極
するケースを想定しているので自己エネルギーに言及しないでも済むからで
ありましょう。印加電場が一様にはかからないという一般的なケースではどう
しても自己エネルギーを意識せざるを得ないはずです。

  誘電体部が有限なサイズを持ちかつ形状も一般的なものであり、両電極
も有限サイズで平行には配置されていないという”変なコンデンサー”を想
像してください。それが真空中にあってその両端に電圧がかかっているとし
ます。この系の誘電体内部の電気分極の分布を計算するとします。その具体
的手順は次のようになることでしょう。
 1)誘電体部を微小な体積要素(たとえば立方体の)に分割し、それら要素
   内では一様分極状態になるとする。
 2)要素内の自己エネルギー、要素間の静電相互作用、及び外部電場と各
   要素との間の相互作用の3種のエネルギーの総和からなる関数Wを書
   き下す。
 3)このWに対して各分割要素の電気分極(双極子モーメント)に関する
   変分原理を適用する。すなわち、各要素の電気分極の偏微分を採り、
   それぞれゼロとおく。これで全要素の電気分極に関する連立方程式が
   できるのでそれを解く。
つまり、それぞれは一様に分極した微小誘電体が外部電場の影響下で相互作
用して”収まるところへ収まる”というアルゴリズムで解くわけです。
各要素の自己エネルギーを含める必要があるのは各要素の分極を可変と
しているからです。教科書のコンデンサーの問題も上記アルゴリズムで解ける
と思います。ただ、この場合、全ての要素が同一の分極状態にあると、暗黙
のうちに仮定しているので同じ方程式の連立になるだけでありましょう。つま
り方程式は事実上一個。



(807)  (Re:804)
Re:自分自身のつくる静電ポテンシャルによる静電エネルギー
IRON28
2007年01月05日(金) 23時47分

>私は、現実にはそのような物理現象は存在しないから、結局、「自己エネルギ
>ーの分の仕事を導入する必要はないだろうと主張しているわけです。
これについての補足です。
電気の問題だけ扱っていると自己エネルギーを現実問題として意識しなければ
ならないケースはちょっと思いつかないかもしれませんが、磁気になると大い
にちがいます。すなわち磁石の取り扱いには自己エネルギーを意識するケー
スとしないケースとがあって、磁石の技術屋(私も元その技術屋)は臨機に使
いわけています。
 まず意識しないケースですが、これは既にできた磁石を利用するケースだと
思ってください。たとえば磁石の周囲の磁場を計算する時、現今の保磁力の
高い磁石だと磁化の変動を考える必要はないので磁石の自己エネルギーをとり
こんだ計算をする必要はありません。
 一方、まだ磁化されていない磁石に磁化工程(着磁といいます)を施して利
用するケースをシミュレーションしなければならない時、たとえば永久磁石
式モーターの設計の時には自己エネルギーを考慮します。この手のシミュレ
ーションの原理は#806に書いた”変なコンデンサー”の電気分極計算のもの
と基本的に同じです。この計算アルゴリズムは「積分法」(積分方程式法)
のもので、「磁気エネルギーを磁性体に持たせる」やり方です。しかし、実
際には「磁気エネルギーを空間に持たせる方法」である有限要素法のアルゴ
リズムが広く使われています。積分法から有限要素法の”書き換え”は簡単
にできるようです(やり方は知りませんが(^^;))
 なお、着磁とは「磁化に要する仕事」を為すことですが、これには当然電
源を使うわけです。直流電源とかコンデンサー式パルス電源とか。私が「帯電
には電源を使えばよいではないですか?」と言ったのはこの着磁からの類推
によります。



(791)  (Re:785)
Re:自分自身のつくる静電ポテンシャルによる静電エネルギー
TOSHI
2007年01月03日(水) 18時04分

 こんばんは。。。TOSHIです。

 一応、自己エネルギーを光速の2乗で割ったものが慣性質量なのですが、正しくはその2/3だったか4/3だったかが質量として加速度に寄与し、エネルギーは電磁波を放射して減衰するようです。

                                    TOSHI



(795)  (Re:791)
Re:自分自身のつくる静電ポテンシャルによる静電エネルギー
田部勝也
2007年01月03日(水) 20時02分

TOSHI様。

> 一応、自己エネルギーを光速の2乗で割ったものが慣性質量なのですが、正しくはその2/3だったか4/3だったかが質量として加速度に寄与し、エネルギーは電磁波を放射して減衰するようです。

もしこれが事実だとすれば、即座に2つの疑問が浮かんできますね。

1.この理屈では、点電荷の慣性質量が無限大になってしまいます。
また、ここでいう「自己エネルギー」は、電荷の電気量と電荷分布のみに依存する量です。もし、自己エネルギーと慣性質量の間に一意的に決まる関係があるとすると、電気量と慣性質量は観測可能な物理量ですから、全ての荷電粒子について、その電荷分布が求まる事になります。
以上から、電子や陽子は点電荷ではなく、ある電荷分布を持っていて、かつ、その分布状態は現在の技術で十分測定可能という事になるはずです。
しかし、それほどの興味深いデータを、私は恥ずかしながらまだ見た事がありません。これについては、ただ単に私が不勉強なだけなのでしょうか。

2.ここでいう「自己エネルギー」が電磁波の放射という形で減衰するとなると、その過程で、この電荷の電気量が減るか、電荷分布が変化するという事になるかと思います。
例えば、電子が加速の際に電磁波を放射する過程で、電気量が減っていくなどという現象は聞いた事がないですし、電気量の保存則に抵触するように思うのですけど、これについてはどう解決されるのでしょうか。

====================
なお、1.については、理科年表で、「電子の古典半径」という値を見た事があります(「基礎物理定数」の欄)。これは、式を見る限り、球殻表面に一様に電荷が分布していると考えた場合の2倍、球体内部に一様に電荷が分布していると考えた場合の5/3倍の半径になっているようです。
──計算はしていませんが、直感的に考えると、中心から外に向かって指数関数的に減少していくような電荷分布を想定しているような気がしますね。時間を見つけて計算してみたいと思います。



(797)  (Re:795)
Re2: 自分自身のつくる静電ポテンシャルによる静電エネルギー
かねやん
2007年01月03日(水) 21時22分

田部勝也さん、こんにちは。

>2.ここでいう「自己エネルギー」が電磁波の放射という形で減衰するとなると、その過程で、この電荷の電気量が減るか、電荷分布が変化するという事になるかと思います。
>例えば、電子が加速の際に電磁波を放射する過程で、電気量が減っていくなどという現象は聞いた事がないですし、電気量の保存則に抵触するように思うのですけど、これについてはどう解決されるのでしょうか。

私も田部さんと同様な疑問を持ちました。電荷相互間のポテンシャルエネルギーが運動エネルギーと電磁エネルギーになるような気がします。
電荷を仮想棒で固定して、電荷間の相対位置をゆっくり変化させれば、電磁エネルギーの項は無視できると思うので、それで少し考えてみましたが、考えがまだまとまっていません。


-- CMN v0.50dβ  + unicodefilter --



(798)  (Re:795)
Re:自分自身のつくる静電ポテンシャルによる静電エネルギー
TOSHI
2007年01月03日(水) 21時53分

>TOSHI様。
>
>> 一応、自己エネルギーを光速の2乗で割ったものが慣性質量なのですが、正しくはその2/3だったか4/3だったかが質量として加速度に寄与し、エネルギーは電磁波を放射して減衰するようです。
>
>もしこれが事実だとすれば、即座に2つの疑問が浮かんできますね。
>
>1.この理屈では、点電荷の慣性質量が無限大になってしまいます。
>また、ここでいう「自己エネルギー」は、電荷の電気量と電荷分布のみに依存する量です。もし、自己エネルギーと慣性質量の間に一意的に決まる関係があるとすると、電気量と慣性質量は観測可能な物理量ですから、全ての荷電粒子について、その電荷分布が求まる事になります。
>以上から、電子や陽子は点電荷ではなく、ある電荷分布を持っていて、かつ、その分布状態は現在の技術で十分測定可能という事になるはずです。
>しかし、それほどの興味深いデータを、私は恥ずかしながらまだ見た事がありません。これについては、ただ単に私が不勉強なだけなのでしょうか。
>
>2.ここでいう「自己エネルギー」が電磁波の放射という形で減衰するとなると、その過程で、この電荷の電気量が減るか、電荷分布が変化するという事になるかと思います。
>例えば、電子が加速の際に電磁波を放射する過程で、電気量が減っていくなどという現象は聞いた事がないですし、電気量の保存則に抵触するように思うのですけど、これについてはどう解決されるのでしょうか。
>
>====================
>なお、1.については、理科年表で、「電子の古典半径」という値を見た事があります(「基礎物理定数」の欄)。これは、式を見る限り、球殻表面に一様に電荷が分布していると考えた場合の2倍、球体内部に一様に電荷が分布していると考えた場合の5/3倍の半径になっているようです。
>──計算はしていませんが、直感的に考えると、中心から外に向かって指数関数的に減少していくような電荷分布を想定しているような気がしますね。時間を見つけて計算してみたいと思います。

 古典論ですから電子に古典電子半径があるという仮定です。電磁波による減衰は加速運動をしている場合であり、静止してれば電磁波は出ません。(ランダウ「場の古典論」参照)
                 TOSHI



(822)  (Re:798)
Re:自分自身のつくる静電ポテンシャルによる静電エネルギー
田部勝也
2007年01月07日(日) 01時27分

TOSHI様。

>古典論ですから電子に古典電子半径があるという仮定です。
この半径(理科年表ではe2/4πε0mec2となっていました)を導出した根拠が分からなかったのですけど、ランダウ「場の古典論」を見れば書いてあるという事でしょうか。手元に同書がないので、今度、本屋さんに行ったときに、チェックしておきたいと思います。

>電磁波による減衰は加速運動をしている場合であり、静止してれば電磁波は出ません。
存じているつもりですけど、荷電粒子が加速度運動をし電磁波を放出する過程で、荷電粒子の電気量が減っていく(ここでいう「自己エネルギー」が減少していく)といった現象は聞いた事がありません──という事を、先の書き込みでは述べたかったのです。
荷電粒子が加速度運動の過程で電磁波を放出する際のエネルギー保存則は、
 [荷電粒子に与えたエネルギー]
   =[荷電粒子の運動エネルギーの増加]+[放出する電磁波のエネルギー]
となり、「自己エネルギー(正確に言えば“自分自身のつくる静電ポテンシャルによる静電エネルギー”)」は関与しないと思っていましたが、間違っていたでしょうか。



(824)  (Re:822)
Re:自分自身のつくる静電ポテンシャルによる静電エネルギー
TOSHI
2007年01月07日(日) 06時28分

 こんにちは。。TOSHIです。

>
>>古典論ですから電子に古典電子半径があるという仮定です。
>この半径(理科年表ではe2/4πε0mec2となっていました)を導出した根拠が分からなかったのですけど、ランダウ「場の古典論」を見れば書いてあるという事でしょうか。手元に同書がないので、今度、本屋さんに行ったときに、チェックしておきたいと思います。

 古典電子半径ですけど結局は0なので自己エネルギーによる電磁質量は無限大になります。この発散の困難は量子論では緩和されて「くりこみ」により解決されます。「ランダウ」や「砂川:理論電磁気学」などにはややくわしくのっています。もっとも量子論では電子半径はドブロイ波長程度とみてよいと思います。

>
>>電磁波による減衰は加速運動をしている場合であり、静止してれば電磁波は出ません。
>存じているつもりですけど、荷電粒子が加速度運動をし電磁波を放出する過程で、荷電粒子の電気量が減っていく(ここでいう「自己エネルギー」が減少していく)といった現象は聞いた事がありません──という事を、先の書き込みでは述べたかったのです。

 そうですね、電荷は減りません。電荷をもつ粒子の運動エネルギーは速度が増えると変化し、電磁波を放射すると減速するということでエネルギーが保存しますが、その際の運動エネルギーの(1/2)mv^2の質量mに「自己エネルギー」による電磁質量が加わるという話を述べたかっただけです。

>荷電粒子が加速度運動の過程で電磁波を放出する際のエネルギー保存則は、
> [荷電粒子に与えたエネルギー]
>   =[荷電粒子の運動エネルギーの増加]+[放出する電磁波のエネルギー]
>となり、「自己エネルギー(正確に言えば“自分自身のつくる静電ポテンシャルによる静電エネルギー”)」は関与しないと思っていましたが、間違っていたでしょうか。

  粒子の質量に「自己エネルギー」による電磁質量を考慮する以外はそれで結構です。
                TOSHI



(826)  (Re:824)
Re:自分自身のつくる静電ポテンシャルによる静電エネルギー
TOSHI
2007年01月07日(日) 10時04分

PS:この発散の困難は量子論では緩和されて「くりこみ」により解決されます。

 と書きましたが量子論の「くりこみ」というのはただ無限大だから無視して有限にすればいいというものではないです。

 たとえば電子の「異常磁気モーメント」というのは詳しい計算は忘れましたが、角運動量に対すぅる磁気モーメントの磁気回転比が理論上は2なのですが実験値ではやや大きくなります、計算上は角運動量と磁気モーメントの自己値を「くりこむ」と共に無限大なのですが結果としてその比が2より大きくなり、摂動の2次では「シュヴィンガー項」という付加的値が得られ摂動の次数を上げるほど実験値に近づきます。

                TOSHI



(837)  (Re:826)
Re:自分自身のつくる静電ポテンシャルによる静電エネルギー
田部勝也
2007年01月09日(火) 21時37分

TOSHI様。

>【#824】
>この発散の困難は量子論では緩和されて「くりこみ」により解決されます。

ご紹介頂いた『ランダウ=リフシッツ理論物理学教程・場の古典論(原書第6版)』(ランダウ=リフシッツ著、東京図書)にも、そう書かれていました(ただ、この本には、この発散の困難は古典電磁気学の限界を示すもので、このまま「くりこみ」をしてもあちこちに矛盾が生じるというような事が書かれていました。古い本なので現在の量子電磁力学では解決済みなのでしょうけど)。
なお、『理論電磁気学』(砂川重信著、紀伊国屋書店)のほうは、まだ未見なのですが、こちらも大変良書のようですので、できるだけ早くチェックしておきたいと思います。

>【#824】
>電荷をもつ粒子の運動エネルギーは速度が増えると変化し、電磁波を放射すると減速するということでエネルギーが保存しますが、その際の運動エネルギーの(1/2)mv^2の質量mに「自己エネルギー」による電磁質量が加わるという話を述べたかっただけです。

そもそもの静止質量の由来が、点電荷のつくる電場に起因する「自己エネルギー」である──という話と勘違いしていました。申し訳ありません。
なお、運動エネルギー(mv2/2)の質量mに「自己エネルギー」による電磁質量が加わるという話は、大変興味深い話題で是非とも詳しく勉強したいと思っています。しかしながら、このスレッドのテーマを大きく逸脱しそうですので、この点について勉強していく過程で、どうしても自己解決できない疑問が生じたら、改めて新規に質問する事になるかと思います。その時はまたよろしくお願いします。

====================
>【#833】
>(前略)量子論の「くりこみ」というのはただ無限大だから無視して有限にすればいいというものではないです。

そのように認識しているつもりです。そもそも「くりこみ」論自体、まともに勉強した事はないので、何か具体的なイメージがあるわけでもないのですけど……。



(813)  (Re:785)
Re:自分自身のつくる静電ポテンシャルによる静電エネルギー
田部勝也
2007年01月06日(土) 20時20分

皆様。

私の問題提起と議論の持って行き方が悪かったのですが、ちょっと、自分の能力を超える速さで議論が進んでいき、そもそも自分は何に問題意識を持っていたのか(逆に言えば、問題にしなくても良かった事は何か)という点について、だいぶ混乱してきました。私の頭の整理の為にも、今一度、私の疑問が生じた経緯をはじめから説明しておこうと思います。

====================
いくつかの電荷が存在する(外部電場は存在しない)系を考え、この系の持つ静電エネルギーを計算します。
まずは、あまり深い事は考えず、これまで学校で習ってきた通りに計算してみる事にします(細かい数式は読み飛ばして頂いて結構です)。

■「静電エネルギーは電荷が持つ」という考え方での計算。
──なお、この場合は、通常、計算の過程で、「各電荷がそれぞれ無限に離れている状態を、エネルギー=0の基準にする」という事が明確に意識されます(多くの教科書でその点についての注意が明記されているはずです)。
・電荷が1つの場合
 UQ = 0
 (系に電荷が1つしかなければ、この電荷をどこへ運ぼうと必要な仕事は0だから)
・電荷が2つの場合
 UQ = (1/4πε0)・(q1q2/r12)
・電荷が3つの場合
 UQ = (1/4πε0)・[(q1q2/r12)+(q1q3/r13)+(q2q3/r23)]
・電荷がN個の場合
 UQ = (1/2)・(1/4πε0)・[Σi=1〜NΣk=1〜N(k≠i)(qiqk/rik)]
【注】ここで(1/2)の係数が出てくるのは、あくまで和記号(Σ)における和の取り方の定義に依るものである。詳しくは、『静電場のポテンシャルエネルギーについて』スレッドの#740参照。

■「静電エネルギーは電場が持つ」という考え方での計算。
──なお、この場合は、通常、計算の過程で、エネルギー=0の基準をどうするかを深く考察する事はないようです(少なくとも私はこれまでそうでした)。
・電荷が1つの場合
 UE = (ε0/2)∫E12dv
 (E1は、この電荷が単独で存在しているとしたときに系にできる電場)
・電荷が2つの場合
 UE = (ε0/2)∫(E1E2)2dv
   = (1/4πε0)・(q1q2/r12) + {(ε0/2)∫E12dv} + {(ε0/2)∫E22dv}
   =  UQ + {(ε0/2)∫E12dv} + {(ε0/2)∫E22dv}
・電荷が3つの場合
 UE = (ε0/2)∫(E1E2E3)2dv
   = UQ + {(ε0/2)∫E12dv} + {(ε0/2)∫E22dv} + {(ε0/2)∫E32dv}
・電荷がN個の場合
 UE = (ε0/2)∫[(Σi=1〜NEi)2]dv
   = UQ + {(ε0/2)・[Σi=1〜N(∫Ei2dv)]}

以上、同じ「系の静電エネルギー」を計算しているはずなのに、両者では、なぜか計算結果が異なるわけです。
よく見てみると、両者は、[各電荷がそれぞれ単独で存在しているとしたときの系の静電エネルギー]の分だけが常に違う事に気がつきます。
私の疑問の発端は、「この[各電荷がそれぞれ単独で存在しているとしたときの系の静電エネルギー]には、どのような物理的意味があるのか?」というものでした。

====================
『静電場のポテンシャルエネルギーについて』スレッドのほうで検討を重ねていくうちに、(甘泉法師様の発言をきっかけにして)「静電エネルギーは電荷が持つ」という考え方で計算する際に、「電荷が自分自身でつくる静電ポテンシャル」を考慮に入れて計算すると、この項(自分自身でつくる静電ポテンシャルによる静電エネルギーの項)が、まさに上の「各電荷がそれぞれ単独で存在しているとしたときの系の静電エネルギー」と等しくなる──という事に気がつきました(そもそも、この事が正しいのかどうかが十分確認されてはいなかったような気もしますが……)。

そこで、これらを、「自分自身のつくる静電ポテンシャルによる静電エネルギー」および「自分自身のつくる電場(だけ)による静電エネルギー」と呼ぶ事にし、このエネルギーの物理的意味について、教えを請いたい──というのが、このスレッドを立てた際の、私の当初の狙いでした。
(なお、この時点では、これらの物理的意味が私の中でまったく明らかでなかったので、長い名称をうまく短い単語で表す事ができず、ましてや、これらを単に「自己エネルギー」と呼ぶ事には、まだ抵抗がありました)

====================
私の当初の見解は、「これらの項は、単に“エネルギー=0の基準をどう定めるかを決める定数項”に過ぎないのではないか」というものでした。つまり、現実の物理現象を扱う上では全く寄与しない項だと考えていました。

ただ、現在は、IRON28様のご指摘などにより、「これらの項は、電荷をつくるのに要するエネルギーを表している」という解釈をするのが、より自然であろう──という理解に傾いています。

具体例の検討などの各論は、それぞれのコメントへの返信で続けるとして、まずは、「静電エネルギーは電場が持つ」という考え方で系のエネルギーを算出する際、「静電エネルギーは電荷が持つ」という考え方では通常出てこない項が現れる事について、何かご意見がありましたら、ぜひともご教授願いたいと思っています。



(816)  (Re:813)
Re:自分自身のつくる静電ポテンシャルによる静電エネルギー
IRON28
2007年01月06日(土) 21時33分


>ただ、現在は、IRON28様のご指摘などにより、「これらの項は、電荷をつく
>るのに要するエネルギーを表している」という解釈をするのが
引用は正確に行ってください。私は「電荷を作る」とは言っていません。「帯
電に要する仕事」と言っているのです。つまり物体に電荷を持たせる仕事と
言っているのであって、電荷を作るなどという「神の御業」のことは全く考え
ておりません。

>──なお、この場合は、通常、計算の過程で、「各電荷がそれぞれ無限に離
>れている状態を、エネルギー=0の基準にする」という事が明確に意識されま
>す(多くの教科書でその点についての注意が明記されているはずです)。
これらの教科書では暗黙のうちに不変電荷を扱うことが前提になっているの
ではないですか。そうではなく、初めから可変電荷を前提にするならば、電荷
1個の時から自己エネルギーを含めなけばなりません。そうすれば「...電場
が持つ」と結果と同じになります。

>具体例の検討などの各論は、それぞれのコメントへの返信で続けるとして、
>まずは、「静電エネルギーは電場が持つ」という考え方で系のエネルギーを
>算出する際、「静電エネルギーは電荷が持つ」という考え方では通常出て
>こない項が現れる事について、何かご意見がありましたら、ぜひともご教
>授願いたいと思っています。
既に述べた通り、自己エネルギーを含めるか含めないかの選択の問題です。
「通常出てこない項」についてですが、これは不変電荷を前提にする議論を
「通常」とみなしている思い込みによるのだと思いますが...。



(820)  (Re:816)
Re:自分自身のつくる静電ポテンシャルによる静電エネルギー
田部勝也
2007年01月07日(日) 00時14分

IRON28様。

>引用は正確に行ってください。私は「電荷を作る」とは言っていません。「帯電に要する仕事」と言っているのです。
大変失礼しました。そのように訂正します。
こういう言い方を許してくれるならば、「IRON28様のご指摘などを参考に、さらに自分なりに考えを推し進めていった結果、“これらの項は、電荷をつくるのに要するエネルギーを表している”という解釈に傾きつつある」というニュアンスを伝えたかったのです。

>これらの教科書では暗黙のうちに不変電荷を扱うことが前提になっているのではないですか。
そういう事です。……で、私は、あまりに必要以上に「電気量保存則」に強く縛られていたためか、指摘されるまで「可変電荷」というものの存在にまったく思い至らなかったのです。ゼロ電荷の帯電可能な物体を帯電させるという事も、#805の【図1】のようにしか考える事ができなかったわけです(電源についても、同じ#805で書いているように、電気量保存則の範囲内でしか考えていませんでした)。
あらためて、(誤った)固定観念というのは恐ろしいものだと感じます(誤った固定観念を持った人の考えを正すほうはもっと大変なわけで、その点でもIRON28様には感謝しています)。

>既に述べた通り、自己エネルギーを含めるか含めないかの選択の問題です。「通常出てこない項」についてですが、これは不変電荷を前提にする議論を「通常」とみなしている思い込みによるのだと思いますが...。
おっしゃる通りなのでしょう。まだ私は、IRON28様の解釈・説明を十分理解しているとは言えそうもないので、それが違和感なく納得できるように、皆様のコメントを参考にして、しっかりと勉強したいと思います。



(823)  (Re:813)
Re:自分自身のつくる静電ポテンシャルによる静電エネルギー
田部勝也
2007年01月07日(日) 02時08分

【先ほどの書き込み(#819)は、重大な間違いがありましたので、削除しました】

皆様。

>そもそも自分は何に問題意識を持っていたのか(逆に言えば、問題にしなくても良かった事は何か)という点について、だいぶ混乱してきました。

最初にこの点をもっと明確に考察しておけば、ここまで議論は紛糾しなかっただろうと、反省しています。いろいろなケースでの計算を見直してみて、「自分自身の電場(だけ)による静電エネルギー」が問題となるケースと問題にならないケースとの区別が、だいぶ見えてきました。

====================
電荷が存在する系の静電エネルギーを、「静電エネルギーは電荷が持つ」「静電エネルギーは電場が持つ」のそれぞれの考え方で、私が学校で習った通りに計算してみます。ただし、
●「静電エネルギーは電荷が持つ」として算出された静電エネルギーをUQ、「静電エネルギーは電場が持つ」として算出された静電エネルギーをUEと書く事にします。
●UQは、[電荷の電気量]×[その電荷のある場所の静電ポテンシャル]で計算されるものとします。また、系に電荷が存在しない状態をエネルギー=0の基準に選びます。
●UEについては、系に生じている電場Eをもとに、単純に∫(ε0E2/2)dvを計算して求めた値をUEとします。

■1.系に存在する電荷は、点電荷の集合と考えて計算する場合。
・UQとUEは異なる値になる。
・UQとUEの差は、「静電エネルギーは電場が持つ」という考え方で[各点電荷がそれぞれ単独で存在しているとしたときの系の静電エネルギー]の総和を計算したものに等しい。

■2.系に存在する電荷は、有限の電荷密度を持った帯電体の集合と考えて計算する場合。
・UQとUEは一致する。

■3.系に外部電場(系内に存在する電荷に由来しない電場)が存在する場合。
・上記2つの場合に加えて、[外部電場だけが単独で存在するとした場合の系の静電エネルギー]の分だけ、UQよりもUEのほうが大きくなる。

====================
さて、この結果を見ると、■2.の結果から、有限の電荷密度を持った帯電体だけで考える限り、私の疑問はそもそも存在しない事になります。これには、帯電球やコンデンサーの充電の場合などが該当しますから、これらに対する私のこれまでの反論はすべて的外れなものだったという事になりますね。

一方で、■1.の結果から、物理現象を点電荷の振る舞いという観点から見た場合には、依然として疑問が残ります。
例えば、『静電場のポテンシャルエネルギーについて』の#764で提示した【問1】〜【問3】の場合は、まさにそういう例ですね。
現実の物理現象を考える際には、系内に存在する電荷を厳密に点電荷(の集合)として考えなければならない事はあまりないかと思いますが、#787での誘電分極の説明や、同じく#787でのジュール熱の説明などが、(かなり強引に)点電荷の振る舞いで現象を説明していると言えます。

──そんなわけで、ここでの問題提起は、
■「系の静電エネルギーは電場が持つ」として計算する際にだけ現れる次の2つのエネルギー──点電荷を考える場合に出てくる「自分自身のつくる電場(だけ)による静電エネルギー」、および、外部電場が存在する場合に出てくる「外部電場だけが単独で存在するとした場合の系の静電エネルギー」は、どんな物理的意味を持つのか?
に、変更させて下さい。

====================
でも、そうすると、また、問題は、『静電場のポテンシャルエネルギーについて』スレッドの#756に戻ってしまう気がするんですよね……。

やっぱり、なんとなく、これらは「エネルギー=0の基準の違いに起因する定数項」または「この世界の初期条件(境界条件)を定める定数項」と理解するのがいいのかなぁ……とか、また性懲りもなく思い直してしまったりもします。
今の私の学習段階では、こんなところで悩むのはまだまだずっと先の話だよ──という事なのでしょうけど、どうにも気持ち悪い感じです。



(833)  (Re:823)
Re:自分自身のつくる静電ポテンシャルによる静電エネルギー
甘泉法師
2007年01月09日(火) 07時27分

おはようございます 田部勝也さん

>■1.系に存在する電荷は、点電荷の集合と考えて計算する場合。
>・UQとUEは異なる値になる。
>・UQとUEの差は、「静電エネルギーは電場が持つ」という考え方で[各点電荷がそれぞれ単独で存在しているとしたと>

きの系の静電エネルギー]の総和を計算したものに等しい。

1 
UQ= 1/2 * ∫ρφ dV と UE=ε0 /2 * ∫E^2 dV は、電荷密度が連続な場合と同様、同じ値です。

実際ρにデルタ超関数 ρ=Σi qi δ(x-xi)δ(y-yi)δ(z-zi)をいれ、電位をφ(xi,yi,zi)= Σjφj と粒子ごとの寄与の和に記して計算すると

UQ= 1/2 *Σi  qiφ(xi,yi,zi)       (xi,yi,zi)は電荷qiをもつ点粒子の位置
 = 1/2 *Σi  qiφi(xi,yi,zi) + 1/2 *ΣiΣj,i≠j qiφj(xi,yi,zi) 
     自己エネルギー        相互作用エネルギー  


UEの場のエネルギー密度の自己エネルギー部分と相互作用エネルギー部分へのわけかたは、#818の図を見ていただければ幸いです。



(836)  (Re:833)
Re:自分自身のつくる静電ポテンシャルによる静電エネルギー
田部勝也
2007年01月09日(火) 21時31分

甘泉法師様。

まとめて、こちらへ返信します。

>【#825】
>・電子が点であるとの考えを突き詰めるとこうなる。無限であるはずの値が有限値に観測されることは量子力学のくりこみで解釈されている。

電子を点電荷と考える事による困難については、#834で述べたように、『ランダウ=リフシッツ理論物理学教程・場の古典論(原書第6版)』(ランダウ=リフシッツ著、東京図書)の解説で、差し当たり満足しています。私はこれまで古典電磁気学の範囲内だけで一貫して考えてきましたが、この点について本当に満足行く理解を得るには、量子論を学ばなければならない──という事を、今回理解したつもりです。

なお、同じ#825で問題提起された対消滅について、古典的解釈ではどうなるのか(そもそも解釈可能なのか)については、引き続き勉強していきたいと思います。

====================
>【#833】
>UQ= 1/2 * ∫ρφ dV と UE=ε0 /2 * ∫E^2 dV は、電荷密度が連続な場合と同様、同じ値です。
>実際ρにデルタ超関数 ρ=Σi qi δ(x-xi)δ(y-yi)δ(z-zi)をいれ、(後略)

私の説明不足でした。#823の■2.では「連続した電荷分布」をイメージしていました。実際、電荷分布がデルタ関数で表される場合は、#823の■1.(点電荷の議論)に場合分けされるものとして考えていました。

>【#833】
>UEの場のエネルギー密度の自己エネルギー部分と相互作用エネルギー部分へのわけかたは、#818の図を見ていただければ幸いです。

はい。とても分かりやすい図で大変参考になりました。今回の件に限らず、今後の勉強にも役立ちそうです。有り難うございます。

====================
>【#818, 832】
>1 電荷密度ρが連続な場合、エネルギー ε0 /2 * ∫E^2 dV  = 1/2 * ∫ρφ dV は有限で、発散する「自己エネルギ−」は現れない。
>理由:考える領域を小さくとれば電荷はいくらでも小さくなるから。(後略)

大変説得力のある根拠だと感じます。帯電球殻のみでなく、一般にも成り立ちそうな議論とさえ思えますね。『ランダウ=リフシッツ理論物理学教程・場の古典論(原書第6版)』(ランダウ=リフシッツ著、東京図書)の私の理解が間違っていなければ、このへんが、古典電磁気学の適用限界を決める議論と言えるのかも知れません。



(818)  (Re:785)
Re:自分自身のつくる静電ポテンシャルによる静電エネルギー
甘泉法師
2007年01月06日(土) 22時07分


>【1】「自分自身のつくる静電ポテンシャルによる静電エネルギー」または「自分自身がつくる電場による静電エネルギー」は、物理的に意味のあるエネルギーなのか否か。
>【2】一般に、「それは物理的に意味のない量である」という事を示す事は可能なのか。


田部勝也さん 典Bさん 議論に参加されている皆様。 新年あけましておめでとうございます。
議論の参考になればと思いコメントします。

1 電荷密度ρが連続な場合、エネルギー ε0 /2 * ∫E^2 dV  = 1/2 * ∫ρφ dV は有限で、発散する「自己エネルギ−」は現れない。

理由:考える領域を小さくとれば電荷はいくらでも小さくなるから。
説明例:
半径aの帯電球で電荷密度ρ(x、y、z)を実現する。
帯電球の「自己」エネルギーは 1/2 * 1/4πε0 * e^2/a  eは球の電荷
体積要素dVにある球の数 N 〜 dV/a^3
球の電荷 e 〜 ρa^3
帯電球の「自己」エネルギー 〜 ρ^2 a^5 → 0 (a→0)
また
N個の帯電球の「自己」エネルギー 〜 ρ^2 a^2 dV → 0 (a→0)
dV中の帯電球間の相互作用エネルギー < N^2 e^2/ a 〜  (ρdV)^2 / a → 0 (dV/a 〜 a^2, a→0)   
 
2  電荷を大きさを持たない粒子が担う場合、言い換えると電荷密度ρがデルタ超関数 Σi qi δ(x-xi)δ(y-yi)δ(z-zi) の場合、発散する「自己エネルギー」が現れる。

考える過程で各粒子の電荷が変化しなければ、自己エネルギーを考慮に入れる必要はない。

考える過程で各粒子の電荷が変化する場合は、自己エネルギーを考慮に入れる必要がある。
説明例:電子と陽電子の対消滅による光子の発生 
電子、陽電子は電磁的自己エネルギーを含めエネルギー〜0.5MeVを持つ。
対消滅後は、電荷が無くなり自己エネルギーは消失する。
2個の光子(電磁場)は1つあたりエネルギー〜0.5MeVを持つ。

おまけ
参考上図 正負で大きさの等しい点電荷を結ぶ線上の エネルギー密度 ε0/2 * E^2 
・全静電エネルギーの分布
・自己エネルギーの分布
・相互作用エネルギー=全静電エネルギー - 自己エネルギー の分布

以上



(821)  (Re:818)
Re:自分自身のつくる静電ポテンシャルによる静電エネルギー
田部勝也
2007年01月07日(日) 00時31分

甘泉法師様。

ご発言の詳細についてはまだ十分検討していないのですけど、1点だけ取り急ぎ。

>考える過程で各粒子の電荷が変化する場合は、自己エネルギーを考慮に入れる必要がある。
>説明例:電子と陽電子の対消滅による光子の発生 
>電子、陽電子は電磁的自己エネルギーを含めエネルギー〜0.5MeVを持つ。
>対消滅後は、電荷が無くなり自己エネルギーは消失する。
>2個の光子(電磁場)は1つあたりエネルギー〜0.5MeVを持つ。

失礼ながら、これは静止質量に由来するエネルギーと、ここで問題にしている「自分自身のつくる電場による静電エネルギー」とを混同していませんか?
0.5[MeV]というのは、電子の静止質量をmとしたとき、mc2で与えられるエネルギーですよね。そうすると、対消滅によって発生した光子(電磁場)のエネルギーは、「自分自身のつくる電場による静電エネルギー」ではなくて、「質量=エネルギー」に由来するものという事になりませんか。

そもそも、電子・陽電子の対消滅によって発生した光子(電磁場)のエネルギーが、「自分自身のつくる電場による静電エネルギー」に由来するものだとすると、電子・陽電子は点電荷ではなく、しかも内部の電荷分布まですでに明らかになっているはずです(この点については、#786の【2】で詳しく述べています)。

対消滅については、以前自分で少しだけ考えてみた事があるのですけど、むしろ、「自分自身のつくる電場による静電エネルギー(各電荷が単独で存在しているとしたときの静電エネルギー)」は、定数項として扱うべき(つまり考慮に入れなくても良い)という印象を、私は持っています。もちろん、ちゃんと検討したわけではないので、明言はできませんが……(これからしっかり考えてみようと思います)。

甘泉法師様の他の指摘については、まだ返信していない他の方のコメントと同様、じっくりと検討してから返信したいと思っていますので、ご了承下さい。
以上、取り急ぎ失礼いたします。



(825)  (Re:821)
Re:自分自身のつくる静電ポテンシャルによる静電エネルギー
甘泉法師
2007年01月07日(日) 09時17分

おはようございます。

>対消滅によって発生した光子(電磁場)のエネルギーは、「自分自身のつくる電場による静電エネルギー」ではなくて
>、「質量=エネルギー」に由来するものという事になりませんか。

こう考えます。
・対消滅の前後で系のエネルギーの基準は変わらない
・消滅後は電荷が存在しないので、「電荷の自分自身のつくる電場による静電エネルギー」もない。
・消滅前に「電荷の自分自身のつくる電場による静電エネルギー」があるとすると
 それはエネルギー保存の法則から光子のエネルギーに転化したはずである。光子ひとつのエネルギーは0.5MeVである。
・ご発言
 >0.5[MeV]というのは、電子の静止質量をmとしたとき、mc2で与えられるエネルギーですよね。
 のとおりなのでmc2は「電荷の自分自身のつくる電場による静電エネルギー」を含んでいる。
・電子の質量エネルギー
 = 自分自身のつくる電場による静電エネルギー+ その他の起源
 = 無限大 + その他の起源
 = 有限値 0.5 MeV 
 は奇異であるが、そう考えざるを得ない。
・電子が点であるとの考えを突き詰めるとこうなる。無限であるはずの値が有限値に観測されることは量子力学のくりこみで解釈されている。



(832)  (Re:818)
Re:自分自身のつくる静電ポテンシャルによる静電エネルギー
甘泉法師
2007年01月08日(月) 18時38分

>説明例:
>半径aの帯電球で電荷密度ρ(x、y、z)を実現する。
>帯電球の「自己」エネルギーは 1/2 * 1/4πε0 * e^2/a  eは球の電荷
>体積要素dVにある球の数 N 〜 dV/a^3
>球の電荷 e 〜 ρa^3
>帯電球の「自己」エネルギー 〜 ρ^2 a^5 → 0 (a→0)
>また
>N個の帯電球の「自己」エネルギー 〜 ρ^2 a^2 dV → 0 (a→0)
>dV中の帯電球間の相互作用エネルギー < N^2 e^2/ a 〜  (ρdV)^2 / a → 0 (dV/a 〜 a^2, a→0)   

以下のように修正します。
 
半径aの帯電球殻の粒を立方格子(距離D=na)に組んで電荷密度ρ(x,y,z)を実現する。
D→0 a→0  n 一定
帯電球殻の「自己」エネルギーは 1/2 * 1/4πε0 * e^2/a   eは球の電荷
体積要素dVにある帯電球殻の数 N = dV/D^3 
球の電荷 e = ρD^3 
帯電球殻の「自己」エネルギー 〜 ρ^2 D^6 / a = n ρ^2 D^5  → 0 
また
dV中のN個の全帯電球殻の「自己」エネルギー 〜 n dV ρ^2 D^2  → 0 
dV中の帯電球粒間の相互作用エネルギー 〜 N^2 e^2/ N^(1/3)D = N^(5/3) e^2/ D 
                                     〜ρ^2 (dV)^(5/3)  = (dQ)^2 / dV^(1/3) → 0 (dV→0)
 



(851)  (Re:832)
Re:自分自身のつくる静電ポテンシャルによる静電エネルギー
田部勝也
2007年01月19日(金) 19時41分

甘泉法師様。
プライベートでばたばたしていて、返信が遅れました。

>1 電荷密度ρが連続な場合、エネルギー ε0 /2 * ∫E^2 dV  = 1/2 * ∫ρφ dV は有限で、発散する「自己エネルギ−」は現れない。
>理由:考える領域を小さくとれば電荷はいくらでも小さくなるから。(後略)

本日、『物理入門コース3・電磁気学I』(長岡洋介著、岩波書店)を立ち読みしていたら、まさに、甘泉法師様が指摘していた、この点について明快な説明が書かれてありました。
有限の電荷密度の場合、「自己エネルギー」が発散しない理由は、おおむね甘泉法師様の説明通りでした。
以上、ご報告です。



(834)  (Re:785)
Re:とりあえずは解決しました(たぶん)
田部勝也
2007年01月09日(火) 21時18分

皆様。

TOSHI様に#798で紹介して頂いた『ランダウ=リフシッツ理論物理学教程・場の古典論(原書第6版)』(ランダウ=リフシッツ著、東京図書)を立ち読みしました。そこに私の疑問とその解答が明快に示されていました(§37および§75)。
なお、まえがきに、本書は電磁場と点電荷の系のみを扱い、連続する電荷分布については扱わない旨が明記されていましたので、その点での私の誤解(#823参照)はないかと思います。

同書によると……(以下、あくまで私の理解です。誤解があればご指摘下さい)。
●「静電エネルギーは電場が持つ」としたとき、確かに、私がこれまで問題にしてきた「点電荷が単独で存在するとしたときの静電エネルギー=“自己エネルギー”」の項が表れる。
●これは、「静電エネルギーは電荷が持つ」としたときの(普通は考慮しない)「点電荷が自分自身でつくり出す静電ポテンシャルによる静電エネルギー」に相当するものである。
●この「自己エネルギー」の値は発散する。
●この事は、古典電磁気学の適用限界を示すものである。
●この適用限界がどの程度になるかは、次のような考察で論じる事ができる。
・「自己エネルギー」が発散しないためには、これまで点電荷として考えていたものが、実は有限の大きさを持つ連続的な電荷分布であると考えなければならない。仮にこれを半径 r の球体とする。
・すると「自己エネルギー」は、(その電荷分布に関わらず)おおよそ q2/4πε0r のオーダーを持つ事になる。
・妥当な半径 r を見積もるために、点電荷の質量 m の起源が、ここでいう「自己エネルギー」であると考える。すると、mc2 〜 q2/4πε0r より、r 〜 q2/4πε0mc2 となる。
・現在の電磁気学の適用限界は、この r について、おおよそ r 以上の大きさのスケールでのみ成り立つという事になる(つまり、この r 以下のスケールでは古典電磁気学は成り立たない)。
・現実の問題として、電子や陽子について r を計算すると、それは一般に量子力学的な位置の不確定性限界よりも小さな値となる事に注意を要する。
・したがって、通常の古典電磁気学を考える限り、この点での適用限界を考慮する必要はない。
・なお、上の r を電子について適用した値 re 〜 e2/4πε0mec2 が「古典電子半径」である。
●「くりこみ」を援用する事などで、ここでいう「自己エネルギー」が質量の起源(ないしその一部)であるとする考え方がある(この考え方に由来する質量を「電磁気的質量」と呼ぶ事にする)。しかし、この考え方は、電磁波放射など様々な現象の考察で矛盾を生じるものである。

====================
以上の説明は、現在の私にとって差し当たり非常に納得のいくものです。同書は、世界中の数多くの人によって読み続けられ、版を重ねてきたわけですから、途方もない間違いは重版の過程で十分に淘汰されていると信じても構わないでしょう。

最後の電磁気的質量に関しては、原著(原書第6版)が1973年の発行ですから、それ以降、研究が進み、すでに矛盾のない考え方が提出され、それが一般的になっているのかも知れません(これらは量子電磁力学の分野の話かと思いますが、量子電磁力学は近年特に研究が進んだ分野というイメージがあります)。
──しかし、差し当たって、私の学習段階においては、まだまだ先の話でしょう。とりあえず、「そういう考え方もある」という事を頭の片隅に置いて、地道に着実に段階を踏んで勉強を進めていけば、いずれこの点についてもちゃんとした理解に辿り着けるのではないかと思っています。

====================
今回は、疑問の本質さえ不明確なままの私の悩みに、IRON28様、TOSHI様、かねやん様、甘泉法師様(発言順)、様々な方が様々な論点・観点からの助言をして頂き、本当に有り難うございました。
まだまだ、理解の不十分な点・誤解している点があるかと思いますが、気づかれましたら、また今回のようにご指摘頂きたいと願っています。



(835)  (Re:834)
Re:自分自身のつくる静電ポテンシャルによる静電エネルギー
田部勝也
2007年01月09日(火) 21時26分

余談です。

>以上の説明は、現在の私にとって差し当たり非常に納得のいくものです。
……と書きましたが、古典電磁気学の適用限界を考察するくだりで、後に著者自身が否定する「電磁気的質量」の考え方を援用しているのが、ちょっとだけ気になると言えば気になります。
●他にエネルギーの次元を持つ適当な比較対象となる物理量がないから。
●電場中の物体の「動かしにくさ」について、琉球大学・前野昌弘氏のWebページ『物理Tips:何がなんでもE=mc^2(電磁気編)』に書かれているように、
>(前略)(電荷のたまっていないコンデンサーに比べて・引用者)電荷のたまったコンデンサーの方が(電場を一緒に引きずる事になるので・引用者)動かしにくい。
> この差を計算すると、ちょうど質量が電磁場のエネルギー÷c^2だけ大きくなったと思えば良いだけの差になる。(中略)
>実際、アインシュタインが特殊相対論を出すより前に、ポアンカレが電磁場の「質量にあたるもの」Mが電磁場のエネルギーEと
>E=Mc^2 
>の関係にある(さらに、これは速度とともに増加する)という答えを出していたというのは有名な話である。
という事が分かっていたので、その類推から。
──という2つの理由が浮かんだのですけど、実際のところはどうなんでしょうか。

『ランダウ=リフシッツ理論物理学教程・場の古典論(原書第6版)』(ランダウ=リフシッツ著、東京図書)を詳しく読めば分かるのかも知れませんが、高価で分厚いんで、仕事を持っていて趣味で学んでいるだけの身としては、ちょっと手を出しづらいんです……。また、立ち読みするかな(苦笑)。



(848)  (Re:835)
球殻電荷の電気エネルギーと重力エネルギーの和
甘泉法師
2007年01月13日(土) 11時15分

電子の質量はすべて電気エネルギーからなると考えて、電気エネルギーと重力エネルギーの和を考えてみました。

1 電子を半径rの球殻として、電気エネルギーは 1/4πε0 * e^2/ 2r = Mc^2, Mは電気エネルギーの質量。
2 Mによる重力エネルギーは、-GM^2/ 2r
3 T.E.=電気エネルギー+重力エネルギー=2Q/r * ( 1 - PQ/r^2 ) 
  ここで P=G/c^4 Q=e^2 / 16πε0
4 T.E.の極大値は、r=√(3PQ)の場合で、4/3√3*√(Q/P)。  
  T.E.=0 となるrは r=√(PQ)
5 MKSA単位で G〜E-11 ε0〜E-12 e〜E-19 c〜E+8 なので P〜E-43 Q〜E-26。 よって 
  √(PQ) 〜E-35m  √(Q/P)〜E+8 Joule 〜E-8 kg* c^2
    
備考
1 計算を簡単にするため電気エネルギーは球殻上にある("ρφ")とした。球殻の外側近くにある("ε0 E^2")のと結果に大差はないと考えた。
2 rが√(3PQ)よりちいさければ収縮、おおきければ膨張の力が働くので、状態は不安定。
3 √(PQ)は シュヴァルツシルト半径 2GM/c^2 〜 E-34 mと同程度。一般相対論で考える必要がある。
4 √(PQ)は h/Mc 〜 E-35 m と同程度。量子力学で考える必要がある。
5 √(PQ)は ひもstringのおおきさ、プランク長さ E-35 m と同程度。
6 T.E.の極大値〜√(Q/P)はプランク質量 E-8 kgと同程度。電子の観測質量〜E-30kg はこれより20桁以上小さい。

以上 



(849)  (Re:848)
Re:球殻電荷の電気エネルギーと重力エネルギーの和
甘泉法師
2007年01月14日(日) 10時58分

備考 追加
7 プランク質量やプランク長さがでてくるのは、たまたま
 e^2 / ε0 〜 hc
だから。くわしくは
(e^2 / ε0)/ hc = 0.092   ここでhはプランク定数/2πのディラック定数。



(850)  (Re:849)
Re:【遊び】質量欠損と比電荷
田部勝也
2007年01月19日(金) 19時30分

甘泉法師様。
プライベートでばたばたしていて、返信が遅れました。
それにしても、ずいぶんと面白い事を思いつきますね。こういったIF世界の考察というか、空想科学的な事にいろいろと想いを馳せるのは大好きです。
甘泉法師様は球殻で計算されましたが、もっと一般的な電荷分布でも、甘泉法師様のアイデアは成り立ちそうですね(静電エネルギーのオーダーは電荷分布が多少変わってもそれほど変わらないので)。

甘泉法師様のアイデアほどの面白味はありませんが、私も刺激されて、少し想像力を働かせてみました。

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まず、質量欠損を静電エネルギーで考えてみました。

まず、図1のようなモデルで考えてみます。2つの帯電球(電荷密度は一様)がそれぞれ単独で存在している場合の静電エネルギーと、図1の場合の静電エネルギーとの差ΔUは、
 (1) ΔU = (4πε0)・[qQ/(a+b)]
です。つまり、2つの帯電球は、結合する事でこれだけ静電エネルギーが増大する事になります。これを、E=mc2にあてはめて考えると、2つの帯電球が結合する事による質量変化Δmは、
 (2) Δm = (4πε0)・[qQ/{(a+b)c2}]
となります。2つの帯電球が陽子(または陽子塊・原子核)だとすると、バラバラに存在しているよりも結合していた方が、Δmだけ質量が大きくなる事になります。
実際の陽子(または陽子塊・原子核)の数値を代入すると、Δm〜10−30[kg](10[MeV])程度となります。なんと、実際の核分裂反応におけるΔmやΔUと同程度のオーダーになるんですね。
もちろん、この場合、必ずΔm>0となり、核融合反応は説明できないのですけど……。

次に、図2のようなモデルを考えてみます。イメージは水素原子です。中央に半径bの球状の電荷密度があって、それに重なるように半径aの球状の電荷密度がある感じです。計算を簡単にするため、電荷密度は、実際の水素原子と異なり、一様な帯電球とします。
この場合、それぞれの電荷密度が単独で存在している場合と、図2の状態との、静電エネルギーの差ΔUは、
 (3) ΔU = (3/4)・(4πε0)・(qQ/a)・[1+2b2/15a2]
よって、この静電エネルギーの差に起因する質量Δmは、Δm=ΔU/c2となります。
水素原子に当てはめてみると、Δm〜−10−35[kg](−10[eV])程度になります。つまり、水素原子の質量は、[陽子の質量+電子の質量]よりも10−35[kg]だけ軽い事になります(ちなみに電子の質量〜10−30[kg])。
こちらのほうは、妥当性の検討が私にはちょっとできないのですけど……。

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もう一つ、「帯電球は、電荷の反発力と重力による凝集力との釣り合いのみで安定が保たれている」という仮説(?)を考えてみました。
この場合、帯電球内の任意の同心球面で、反発力と凝集力が釣り合っているとすると、この帯電球の比電荷q/mは(電荷分布の形に依らず)、
 q/m = (4πε0G)1/2 〜 8.6×10−11[C/kg]
となりました。電子の比電荷が1.8×1011[C/kg]、陽子の比電荷が9.6×107[C/kg]ですから、1018〜22もオーダーが違う事になりますね。

それにしても、こうしてみると、改めて重力の弱さを実感させられますね。



(854)  (Re:850)
Re:【遊び】質量欠損と比電荷
甘泉法師
2007年01月19日(金) 22時52分

こんばんは 田部勝也さん

>実際の陽子(または陽子塊・原子核)の数値を代入すると、Δm〜10−30[kg](10[MeV])程度となります。なんと、実
>際の核分裂反応におけるΔmやΔUと同程度のオーダーになるんですね。
>もちろん、この場合、必ずΔm>0となり、核融合反応は説明できないのですけど……。

ファインマンの教科書で核分裂エネルギーは静電気エネルギーだと説明していたのを憶えています。
説明はたとえば http://maildbs.c.u-tokyo.ac.jp/~torii/lectures/EM/EM_A_p1-38.doc のP.19-20にありますね。



(857)  (Re:854)
Re:【遊び】質量欠損と比電荷
田部勝也
2007年01月20日(土) 22時10分

甘泉法師様。

>ファインマンの教科書で核分裂エネルギーは静電気エネルギーだと説明していたのを憶えています。
>説明はたとえば http://maildbs.c.u-tokyo.ac.jp/~torii/lectures/EM/EM_A_p1-38.doc のP.19-20にありますね。

あぁ、そうですね。自分も確か学校でそう習った記憶があります(今思い出しました(苦笑))。
そうなると、この場合の質量欠損は、静電エネルギーに由来したものと考えて良さそうですね。つまり、琉球大・前野昌弘氏のWebサイト内『物理Tips:何がなんでもE=mc^2?(電磁気編)』(↓)
http://homepage3.nifty.com/iromono/PhysTips/mass.html
の議論で説明できる現象という事ですね。うまくできてるなぁ。



(855)  (Re:850)
Re:【遊び】質量欠損と比電荷
甘泉法師
2007年01月20日(土) 15時34分

こんにちは 田部勝也さん

>水素原子に当てはめてみると、Δm〜−10−35[kg](−10[eV])程度になります。

水素原子の1s状態が13.6eVですから近似は悪くないと思います。



(856)  (Re:850)
Re:【遊び】質量欠損と比電荷
甘泉法師
2007年01月20日(土) 16時19分

こんにちは 田部勝也さん

> q/m = (4πε0G)1/2 〜 8.6×10^−11[C/kg]
>となりました。電子の比電荷が1.8×10^11[C/kg]、陽子の比電荷が9.6×10^7[C/kg]ですから、10^18〜22もオーダーが違う
>事になりますね。

質量には静電エネルギー(プラス)、重力エネルギー(マイナス)とその他の起源のものがありますから
質量は帯電球の大きさaにより変わります。

その他の起源が0だと仮定すると比電荷、あるいは電子の質量、と合う帯電球の大きさは10^-35m
のプランク長さ程度であることは前に述べました。



(858)  (Re:856)
Re:【遊び】質量欠損と比電荷
田部勝也
2007年01月20日(土) 22時35分

甘泉法師様。

>その他の起源が0だと仮定すると比電荷、あるいは電子の質量、と合う帯電球の大きさは10^-35mのプランク長さ程度であることは前に述べました。

先のコメントは、甘泉法師様のアイデアとは全く別の観点から考えてみたものです。
ある帯電球の電荷分布がρE(r)、質量密度分布がρM(r)とします。
図のように、中心からrの位置の厚さdrの部分に働くクーロン力と重力を考えてみました。
 クーロン力dFE=(4π/ε0)・ρE(r)・dr・∫0→rE(r)・r2)dr
 重力dFM=16π2G・ρM(r)・dr・∫0→rM(r)・r2)dr
すべてのrで、クーロン力と重力が釣り合う為には、ρE(r)とρM(r)がrについて同じ関数形であるとするのが自然でしょう。ρE(r)は帯電球の総電荷に、ρM(r)は帯電球の総質量に比例すると考えるのも自然な事と思います。
すると、結論として、「帯電球は、電荷の反発力と重力による凝集力との釣り合いのみで安定が保たれている」という仮説(?)から、
 q/m = (4πε0G)1/2
とならないかな……と、考えてみたわけです。

もちろん、甘泉法師様のアイデアを否定するものではありません。



(859)  (Re:858)
Re:【遊び】質量欠損と比電荷
甘泉法師
2007年01月21日(日) 10時26分

こんにちは 田部勝也さん

(4πε0 G)^1/2 〜 E-11 なので たとえば地球(質量6E+23 kg)がばらばらにならずに蓄えられる電気量の上限は E+23-11 〜 E+12 C ということになりますね。



(860)  (Re:859)
Re:【遊び】質量欠損と比電荷
田部勝也
2007年01月23日(火) 20時55分

甘泉法師様。
本当に次から次へと興味深いアイデアが湧き出してくる方ですね。1つの知識から、これほど自由自在に想像の翼を広げられる才能は、正直羨ましいです。SF作家になってみたいと思った事はありませんか(笑)。きっと素晴らしい作家になれそうな気がします(すでに作家の方でしたら、失礼をお許し下さい)。

>(4πε0 G)^1/2 〜 E-11 なので たとえば地球(質量6E+23 kg)がばらばらにならずに蓄えられる電気量の上限は E+23-11 〜 E+12 C ということになりますね。

ロシュ限界と同様、天体の剛性を無視した(その形が自身の重力のみで保たれていると仮定した)場合の議論となりますが、おっしゃる通りという事になりますね。まさに「アース」という感じです(笑)。
それにしても、1回の落雷で大地に移動する電気量がおよそ−数[C]らしいので、落雷約1兆回分という事ですか。なんだか、あんまりイメージが湧きません……。

この考えを推し進めると、速さの限界が光速だという事を用いて、自転速度の上限から、天体が持つ磁場の強さの上限値や、天体が放出する電磁波の強度の上限値なども、概算できそうですね(もちろん、出発点となる仮定が仮定ですので、それらがどれだけ現実的に意味のある値かは分かりませんが……)。





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